葉

君に贈る鎮魂歌を私は知らない
邂逅2008年5月17日   
 
扉の向こうに
 建築材としての石を切り出した“石丁場”は、その稼働を止めた後、別の目的で利用されることがあった。例えば下田市の大賀茂の山間部にある丁場では、その適度な湿度と採光の具合から、みかんの貯蔵庫として使われていた時期があった。

しかし今回の目的地である丁場は、戦時中、海軍の秘密兵器の製造工場として用いられていたという。その情報をもたらしたのはS川隊長氏である。それを元に、今回の潜入を企画したのがなかてい氏。感謝感激アメフラシ、である。私たちはその石丁場跡の真実の姿を見極めようと、探索を試みた。

夜討ち
 目的地は遠く、移動に時間がかかったので、進入は夜間となった。街の灯が目映いばかりに輝いている。私たちはしかし、これから全く光のささない、闇の世界に赴くのだ。これが最後の見納めかもしれない・・・。そう思って、街の灯りにキヤノンのレンズを向けてレリーズした。


             潜入前に見た街の灯りの曳航

そうして私たちは参集した。あの扉の前に。


     闇の中にはいくつもの小さな太陽が出現した 集まった仲間の数だけ

仲間の高輝度LEDのヘッドライトが眩しい。そしてかの地に集結した私たちの前で、その重い鉄の扉が開かれた。

 そこは石丁場の跡を利用した海軍秘密工場である、と聞いてきた。しかし十分な製造量を確保する前に終戦を迎えたため、満足に戦後処理もされていないらしい。兵器製造に用いた容器や車両が放置され、錆びるに任せているらしいと、この丁場の情報をもたらしてくれたS川隊長は言う。本当だろうか

丁場跡にしてこの…
 入口を入ると、そこはどこにでもあるような石丁場の跡であった。


                岩戸の狭間に私たちは進入した

 しかし、私たちがその規模に目を奪われ、探索するのにはかなりの時間と注意、そして安全を確保するための装備が必要なことを知るのには、それほど時間を必要としなかった。

「化学兵器製造」という文言からは、毒ガス成分が残留しているが懸念された。しかし、遺棄された物品は、木製の木箱が主なものであり、化学兵器を連想させる容器や製造機械は見られない。


         木箱一つの大きさは、大きめのお盆程度である

残留物を見る
 画像を見てお気づきと思うが、坑内にはいわゆるタフテープが延びている。それも新しめのテープである。表面にツヤがあるのだ。
これには戸惑った。普通、私たちの探索は、跡に何も残さないことを鉄則とする。それがあるがままに見て、あるがままに残しておくのだ。こちろんこれは地下世界でのこと。地上なら「来た時よりも美しく」が掟である。

しかしこれは後で聞いた話であるが、このタフテープはさる公的機関が潜入調査をした時に設置した“迷子防止”のテープということである。


            このように朽ちた木箱がいくつも放置されている



見た中で一ヵ所だけ、半円の断面を持つ坑道があった。奥は崩落して閉塞しているようだ。



また、一ヵ所だけ、竪坑かと思われる穴が開いていた。危険なので、近づかなかった。



そしてところどころに電力線を支えていた小さな碍子が落ちていた。横には塩ビパイプが横たわっている。



坑内を支える“ピラー”に寄り添うように、塩ビ管が配置されている。給水のための装置のように見えるが、これは…?



そして天井には照明器具に電力を供給していた設備の跡が残っている。



さらに夥しい数の木箱が通路にさえも並べられている。その中には、柔らかそうな土で満たされているのだ。



奥に入るに連れて、さらに木箱の数は増えた。



何やら赤いペンキで書かれた文字がある。



入口から数百m入っただろうか。このような迷宮の門扉がいくつも私たちを迎えていた。



地底への回廊はずっと続いている。



途中に、このようなリヤカーの残骸が横たわっていた。木箱を運ぶのに使われていたのだろうか。傍らに落ちているガラス瓶には何が入っていたのだろう。



一斗缶とガラス瓶。いよいよ怪しくなる。この工場が製造してきたものを特定する手がかりになりそうだ。

これらを含め、残留物の年代を見ると、古いファンタの空き缶やプラボトル、練炭などは、昭和40年代のものだろう。
新しいのはペヤングソース焼きそばの容器だが(画像は省略)、これは製造期間が長いので、はっきりした年代は分からない。平成になってから放置されたものだろうか。
それにしてもここでインスタント焼きそばを食べた輩がいるのか。湯を持参してまで食べたその味はいかがだったのだろうか。



 たくさんの木箱、それらに満たされた柔らかな土…。これらは植物や菌の培養器具ではなかったのか。もしかしたらこられの残留物は、ここが細菌兵器の製造工場だったことを物語ってはいないだろうか。そんなことが徐々に脳裡に浮かび上がってきた。



このプラスチック瓶、練炭。化学的な操作に用いられていたことは明白である。



石室の壁には、石を切り出したノミの跡がくっきりと残っている。手掘りの跡なので、戦前のずっと昔から操業していたのだろう。



ねずみ取りの籠。ネズミたちは何を狙ってこの丁場、いや工場に潜んでいたのか。



石壁に意味不明の落書きがあった。古くに書かれた文字ではないようだ。「はっとれともよせ」? 「はっとりともよし」ならまだ人名として分かるが…。



ある石室には、小動物のものと思われる骨があった。まさか動物実験に用いられたのではあるまいが。



さらに深部へ
さらに奥に進むと、白く変色した木箱の残骸があった。カビかコケによって着色されたのであろう。いよいよ怪しくなってきた。



隔離された部屋を造るための“仕切り”があった。奥の部屋は空である。



その左の石室には、照明装置が残っていた。このような照明装置を設えて石を切り出す作業を行ったのだろう。これは初めて見る貴重な場面であった。



別の通路には、地底湖とまでは言えない水溜まりができていた。



湿度が異常に高いところもある。

 だが、もし細菌兵器の製造工場だったなら、このご時世である、こんな形で放置されているはずがない。柔らかそうな土、大きさが統一された木箱、プラスチックの広口瓶などから考えて、一番可能性があるのは、キノコの培養工場という線である。ここでは、太陽光を必要としない種類のキノコ類を育てていたのではないだろうか。



入口を基準にして三層ほど地底に潜り込んだ。



そこに君がいた
 ここはキノコの培養場だったんだ…、そんな思いが確信に変わり、ほっと胸をなで下ろしながら一番深い地階に私たちが達した時、暗闇の中に黙って佇む鉄の固まりが、あった。


         闇の中に浮かび上がった“君”の顔




 それが君だった






 動かない空気と漆黒の闇の中で、外に出ることを放棄したかのように壁の方を向いて、君はじっとしていた。



見上げても決して見えることのない空と同じ色を纏い、もう二度と動かないであろうタイヤを地面に同化させようとしている。



今にも落ちそうなヘッドライトのリムが、君の流す涙のように見える。



剥がれたキャンバストップ、今にも落ちそうなドア、外され打ち捨てられた運転席と助手席のシート。

どれもが悲しみに満ちている。



その背中の小さな荷台にあのたくさんの木箱を積んで、この広い坑内で働いていたのか。



1万5千kmあまりの数字を刻んだ距離計がこれ以上進むことは、ないんだね。



そうして私は君のそばで小一時間を過ごした。君に贈る鎮魂歌を、私は知らない。



しかたなく君のそばを離れる私たちを、君は後ろ姿で見送っていた。



 坑内の探索には2時間を費やしたが、それでもすべてを見て回った訳ではない。

 後ろ髪を引かれる思いで丁場を後にする時、声にならない慟哭を発して再び暗闇に消える彼を残すことがどんなに淋しいことか、私には表現する言葉がなかった。

 21時05分、再び扉は閉ざされた。君は暗黒の中で、酸化という呼吸を静かに重ね、いつしか土に還るのだろうか。



このような感動を与える丁場を探し出してくれたS川隊長氏、そして一緒に探索してくれた仲間達に、

      Special Thanks!

                                             
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