葉

海を見下ろす廃線路を訪ねる〜その1
探訪 2008年7月27日   
 
海から見た風景
 あれはかつて長女が住んでいた藤沢市から車で下田に戻る時に見た風景だった。小田原から真鶴道路に向かって海岸線の国道を走っていると、前方右上の山肌に何やら蔦の絡んだ人工的な造形物が見えたのだ。


          崖の中腹に、水平に延びる構築物がみえる

(あれはまさか薮に埋もれた片洞門ではないか? あんな所に?)

にわかには信じられず、しばらく我が目を疑ったほどだ。だって、かのよっきれん氏のサイトでも探索記録を読んだことがない。もしかして幻の廃隧道かも、と思ったほどだ。


              片洞門だ! どうすればあそこへ行ける?!

 しかしあれだけの遺構だ。すでに知る人ぞ知る、有名な洞門に違いない。有名すぎてよっき氏は訪ねてないのかもしれない。そう思って帰宅してから調べてみると、案の定、私が山肌に見た遺構は昭和47年に廃止された国鉄の隧道だった。急峻な崖を切り開いて作った線路故に災害に遭うことを懸念し、新しいトンネル(舞鶴隧道)を掘って切り替えたのだという。

 行きたい、あの薮に埋もれた片洞門に。

 どこか入れる所はないのだろうか。まさか海沿いの道路からみかん畑の仕事道を頼りに這い上がるしかないのだろうか。地図で調べてみると、湯河原の旧道が一番アプローチとしてよいように思えた。が、途中の様子はどうなっているのだろう。何か障害がないとも限らない。土地勘のない私は、狼狽するしかなかった。

 そうやって悶々としながら月日は流れた。しかしその間、既にあの廃隧道を探索した人々がいること、あの辺りには3つの廃隧道が存在すること、そしてアプローチもそれほど難しくないことが分かった(←管理会社の許可がたやすく得られる、という意味ではない)。
 しかも、国鉄時代、あの洞門は「海の見える眼鏡トンネル」として乗客の目を楽しませ、今でも鉄道ファンの心をくすぐって止まないと言う。
 だが待て、昭和47年と言えば私が中学2年生だった年だ。当然、私も家族旅行の際に電車で通過していたはず。となると今回の探索は、あの頃の自分が見た景色を訪ねる懐かしい旅になるのだろう。


         出典「土木デジタルアーカイブス」様 撮影年不明

歌にもなった名隧道
 現代社会教育鐵道唱歌東海道本篇13番(歌詞は全部で66番まである)に、この隧道が歌われている。その歌詞を紹介しよう。

「潜る赤沢トンネルの 前後は根府川真鶴よ 今も忘れぬ穴あきの 旧トンネルの面白さ」

ハイ、「汽笛一声 新橋の・・・」のメロディーに乗せて歌えましたか? 歌にまで歌われるほどの名隧道のようだ。行ってみたい。そしてこの目で現在の様子を見よう。そして洞門の窓から海を見渡すのだ。

長坂山トンネル
 事前調査によると、片洞門の赤坂トンネルは、湯河原駅から上り東京方面を見て3つめの隧道であるという。一つ目は長坂山隧道、二つ目は八本松隧道、そして三つ目の片洞門のトンネルが赤坂隧道だ。ということは、湯河原側からアプローチした場合、2つの隧道をくぐってあの片洞門へと辿り着くことになる。これは3度おいしい旅になるのではないか。

 2008年7月27日、最寄りの駐車スペースに車を置き、装備を身につけた。“結界”を越えてからは、廃隧道は近かった。現在使われている真鶴隧道の脇で、その廃隧道は静かに坑門を開けていた。


            左 新線の真鶴隧道 右 旧線の長坂山隧道

入坑する
 いよいよ坑内に足を踏み入れる。暗闇に目が慣れないうちは迂闊には動けない。しかし徐々に内部の様子を見てとれるようになってきた。

 ひ、広い・・・。

これが最初の私の感想だった。この路盤の広さはどうだろう。

覆坑は一部レンガの上からコンクリートで行われているように見える。竣功当時はすべてがレンガ張りだったのだろうか。



坑内の暗さに徐々に目が慣れてくると、はるか674mの彼方に上り方向の坑口がぼんやりと見てとれた。

上り線側に立てられているのは、廃材としての枕木のようだが、何に利用したのだろうか。それらはどこまで続いているかは分からないが、この廃トンネルのために立てられた墓標のように思われた。






100mほど進んで振り返ってみた。断面の大きな坑道は精いっぱい外からの光を受け止めようとしていた。



隧道内を進む
 再び東京側坑口を向いた。坑内を照らしている明かりは自然光。二本の影は線路の跡ではなく、撮影者のそれである。



待避口には一斗缶などの廃物が放り込まれている。



進むに連れ、内部には大量の資材が保管されているのが見えてきた。






通過
 時折頭上からしたたり落ちてくる水滴に驚くくらいで、路盤の状態はよく、歩きにくいことはなかった。ヘッドライトはあればよいが、なくてもさしたる支障はないように思われた。



東京側の坑口を出て振り返った。既にトンネル全体が山に呑み込まれようとしているようだ。



 再び東京側の路盤を歩き始める。複線のはずの路盤はもはや車一台分の広さしか歩くことができず、当時のまま残された架線の柱を除けば、ただの“森のハイキングコース”にしか感じられない状態になっている。



八本松トンネル
 長坂山隧道を出て300mほど歩くと、この日2つ目のトンネルである八本松隧道が現れた。



向こう側の坑口がすぐ見えていることから、延長は短いのだろう。印象としては80mぐらいか。坑門はやはりコンクリートで補修されていた。



路盤は後から土砂を運び込んで均したかのようにフラットになっている。さっき見た資材を搬入するために自動車が通行したのだろうか。



六本松トンネルの東京側坑口に来た。外の空が広い。なぜだろう。その理由は、間もなく明らかになる。



現役当時の枕木だろうか。路面にしっかり嵌め込まれている。コンクリート製であるのは、比較的新しい時期に付け替えられたためだろう。



坑口から少し離れたところにある排水溝も、レンガで造られているようだ。



海を見下ろす路盤
 目の前の空が広くなった。右手に山陰が消えたからだ。どうやら海が見えるところに来たらしい。



いよいよあの片洞門に近づいたのだろうかと、期待に胸がはやる。

昌廉滝橋梁
 草に埋もれた赤い鉄橋が現れた。昌廉滝橋梁であろう。上り線のみに架けられているようだ。一瞬、渡っても大丈夫なのかと躊躇したが、もちろん錆びてはいても歩くのに十分な強度は保たれていた。ただし草に覆われた部分に足を乗せたらどうなるかは、分からない。



橋梁の上からとうとう相模灘が見えた。私が1年前にこの線路跡を見上げたのは、あの海岸沿いの道からのことだ。



昌廉滝橋梁を渡ると、再び薮に包まれた道に戻った。しかし前方には明らかに何かがある!



これか、これなのか!? 私が来たかったあの片洞門は!?




海を見下ろす片洞門を訪ねる〜その2へ続く
                                             
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