葉

慈眼院から小鍋へ  
探訪2002年10月5日

 慈眼院を後にし、下田街道に戻ることにしましょう。その戻り方ですが、慈眼院の下の国道を挟んだ所に、水色の建物の喫茶店があります。その手前に、南におりる階段があります。そこを道なりに下りていきますと、大鍋へ行く町道に突き当たります。そこを右に行きますと、増田七兵衛の立てた道標のある下田街道に合流します。

道標
 沼津の海鮮商人、増田七兵衛さんが、嘉永七年(1854年=明治維新の4年前)に、商売がうまくいったことに感謝して、後の旅人のために立てた道標です。下田街道と大鍋越えが合流する三叉路の内側に立っています。
 この道標は大島近海地震の時に倒れてしまい、二つにぽきんと折れたそうですが、地元の方によって修復され、また元の位置に立てられたそうです。高さは120cmほど。道標としては異例に高いです。
表には、「嘉永七甲寅年」「右下田 左はま 道」「右三嶋 左下田道」「豆州君沢郡小海村 増田七兵衛建立」と彫られています。実にダイナミックな道標です。


        右は天城へ 左は下田へ通じる道です

馬頭観音・道標
 七兵衛さんの道標を右に見て進みますと、やがて道は左に曲がって橋を渡ります。その右手の壁に、4体のお地蔵様が立っています。このうちの2体は道標で、川の向かい側の三叉路に立っていたのをこちらに持ってきたようです。「日当たりがよいせいか摩滅が進んでおり、かろうじて銘が読めます。お地蔵様の光背に、「右ハ大なへみち 左ハ下田みち」と銘があります。位置関係からして、橋の向こうの左手に立てられていたのでしょう。道路工事の都合で移されたとはいえ、刻銘の示す通りの場所に立て直してほしいものです。
 

     江戸〜明治の馬頭観音 道標も兼ねています

 江戸時代、この橋はおそらく川の水面近くを渡す木橋だったのでしょう。おそらくちょっと増水すると流されてしまったに違いありません。今は立派な鉄骨の橋が渡されていますが、辺りの流れには、昔の面影が十分に見て取れます。

 道は向かいの山肌に取り付き、左に曲がって小鍋へと進みます。
最初の坂は、何年か前の豪雨によって崩れたために補修がしてあります。傍らにその工事の記録を示す杭が立っており、それに「林道小鍋峠線」と書いてあります。小鍋峠は、まだこの地でその名が語り継がれているようです。
 周囲は鬱蒼とした檜林で、昼なお暗い様相を呈しています。


     今は林道小鍋峠線として存在する下田街道

 この道沿いにいくつかの石造物が立っています。

四基の石造物
 辺りが暗くなった所の右手に、四基の石塔が立っています。それぞれ石塔(地蔵菩薩)・徳本大士・句碑・地蔵で、江戸時代後期に地元の人たちが立てたようです。じっくり刻銘を読んで、それぞれの願いを想像するのも楽しいです。


馬頭観音
 四基の石造物を見た後、またすぐにお地蔵様が立っています。舟形光背を持つ馬頭観音です。日当たりが悪いのが幸いして、大変保存がよく、頭に抱いた馬の顔がはっきり見て取れます。普通、馬頭観音は憤怒の表情をしていると言われますが、下田街道沿いのそれは、柔和なお顔をした観音様が多いです。ここの馬頭観音も、実に穏やかで顔をしており、馬をかわいがっていたであろう建立主の気持ちが伺われます。


          やさしいお顔の馬頭観音

 やがて道は明るく開け、小鍋の集落に入ります。左に上河津の家々を望み、空はますます秋晴れで青く澄んでいます。道は平坦で、等高線に沿うようにして南に進みます。
 この辺り、地元のおじいさんに聞いたところに寄りますと、昭和初期まで石畳の道で、昔は客を乗せた駕籠が往来していたそうです。


       元は石畳だったという下田街道

 やがて「小鍋神社→」という案内板があり、右に登る道が見えてきます。急な坂を上りますと、突き当たりに小鍋神社があります。

小鍋神社
 その地元のおじいさんの話に寄りますと、かの昔はここに寺子屋があったそうです。
 小鍋神社についての由来は傍らの案内板に詳しく記してあります。何でも、文覚上人が伊豆に流されていた源頼朝に決起を促すために、持ってきた義朝のどくろをこの神社の境内に埋めたと伝えられているそうです。後、頼朝が父の霊を弔うためにこの地を訪れた時、料理を作る鍋を求めたところ、小さな鍋を出したこの集落が小鍋と呼ばれ、大きな鍋を出した隣の村が大鍋と飛ばれるようになったと伝えられているそうです。


道標銘
 小鍋神社から町道に下りてしばらく行きますと、道は下りになり、小鍋側を渡ります。渡った突き当たりにゴミ入れのかごがあり、その左の石垣に、何と二尊のお地蔵様がはめ込まれるようにして並んでいます。

 これはかつてこの地に向かい合って立っていたと想像される道標で、それぞれ光背に「河津ミち 三志満ミち」「□志まミち 下田ミち」と記されているそうです。
 何ともかわいらしいお地蔵様ですが、数々の大水や工事に失われることなく保存されていることに、地元の人の気持ちを感じることができます。


            石垣にはめ込まれた二つの道標

 さて、道はここから天城以南唯一の難所といわれた小鍋峠に向かうことになります。道はところどころで崩れていますが、まだまだ行けます。では、次回、そちらをご案内します。乞うご期待!
                                             
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