葉

小松野道(後編)
一条の製糸工場へ繭を運んだ稲梓のシルクロード
その終点と小松野鉱山の残像
探訪2001年8月12日   
 

 さあ、今日はいよいよ堀切から小松野道に入り、一条まで探索してみようと思います。先日おじゃました堀切のお宅で、残りの道について教えていただいてあるので、何とか行けそうです。一条にあったという製糸工場も訪ねて、できれば当時の話を聞きたいものです。

 取り付きは堀切の奥、道標のお地蔵様のところから古道に入ります。お地蔵様を背にして林道を横切りますと、すぐに分岐があります。左は林業用の工事道のようです。ここは右に入り、山の中腹を巻くようにして進みます。右手には沢が流れています。踏み跡ははっきりしていますが、左右から灌木の枝がじゃまをしており、決して歩きやすくはありません。例によってまとわりつくように追いかけてくる虫の羽音や、行く手を遮る蜘蛛の巣に悲鳴を上げながら歩いていきます。



 しばらく歩くと、おや、炭焼き小屋の跡があります。珍しいことに、炭の出し入れ口が石で作ってあります。これは珍しい。よく残っていたものです。


          
アーチ状の細工が分かりますか?

 杉林を出る頃になりますと、工事用林道を横切ることになります。たぶんこれは、先の分岐から山の向こうを回ってきた道でしょう。ヒノキが伐採してあり、やや荒れた景色となります。



 平坦なのはここまでで、林道を越えたところから下りになります。
道なりに下りていきますと、ウラジロ(正月のお飾りに使う、例のシダです。)が茂る雑木林になります。

 実はこのあたりは道が消えかかっており、少し迷ってしまいました。とりあえず踏み跡らしき窪みをたどっていきますと、石垣がそこかしこに見られます。はて、何かの遺構かな?と思っていますと、横穴が一つありました。入り口までの7〜8mほどの切り通しを、石垣で固めてあります。横穴は人が一人かがんで入れるくらいですが、石を積み上げて入り口をきっちり塞いであります。間歩(坑道の入り口)か鉱山の試掘の跡でしょうか。

汗をかいているのに、ここだけ妙にひんやりとした冷たい空気が漂っています。背筋がぞくっとしたので、かろうじて画像だけ撮り、逃げるようにして元来た道を戻りました。


           間歩の跡でしょうか?

 さあ、困りました。道が分かりません。しかし、ここで戻っては面倒なことになります。地図上の距離は一条までそう遠くないので、他の踏み跡を探して下ることにしました。ウラジロをかき分け、下りますと、何やらプラスチック製の立て札があります。これはきっと電力会社の高圧電線の塔へ行く道を示すのでしょう。

           道はこんな様子

 矢印は、今来た道から外れて東に進むように示しています。案外この道を下れば一条に通じているかもしれません。そうそう、この立て札のすぐ下にお地蔵様が一つ立っています。高さは50cmほど。合掌されていますが、かわいそうに首から上がありません。旅人の安全を祈るために立てられたのでしょうに、何とも物悲しいものであります。でもこれでここが古道であることがはっきりしました。


         出口近くのお地蔵様

 お地蔵様をすぎてほんの少し歩きますと、おや、あれは林道のようです。堀切の道標を出発して約20分ほどで着きました。もう一条に出たのでしょうか。すぐそばに空き家が一軒あります。用水の取水口もあります。コンクリート舗装の道はまだ奥に続いているようです。



 そこからは、きっとこちらが一条方面だな、と思う方(左)へ歩を進めました。いったいどこへ出るのでしょう。途中、聞いてきた石柱が道上に立っていました。でも道標ではないようです。表に「□□禅定門」と彫ってあります。お坊さんの墓石でしょうか。でも無縫塔ではありません。由来は人に聞かないと分かりませんね。

 しばらく行くと、いつか見た風景が広がりました。これは県道下田−一条線ですね。とすると、この先に石碑があるはずです。とにかくそこまで行ってみることにしました。2軒目のお宅が見えたところで、道上に鳥居があり、3つの石祠が祀ってあります。山神様でしょうか。



 ははあ、ここはかつてオートバイで何度も通った道。ここに出るのだったんですね。石碑のことは以前から知っていましたが、何せ銘文が文語や漢文調なので、読めずにいました。今日はよく読んでみることにしましょう。小さい方の石碑には「南無阿弥陀仏」と掘ってあります。供養塔なのでしょうか。台座に「小松野金山坑夫中」とあります。銘文には、「明治四十一年・小松野金山・非業生霊・玄通寺」などの文字が読めます。うーん、これは、鉱山の跡に立てられた記念誌碑か供養塔でしょう。事故でなくなった人たちを仲間が弔ったのかもしれません。ではさっき山中で見た横穴は、やはり試掘の跡か間歩の跡でしょう。これらの点については、南伊豆町の歴史資料をひもとけば明らかになるでしょう。


             小松野金山の記念誌碑と供養塔

 さて、せっかくここまで来たので、近くの人に古道の様子を聞いてみたいものです。そこで、古道を出て最初にあるお宅を訪ねてみました。呼び鈴を聞いて出てきてくれたのは、こぎれいにしたおばあさんでした。でもこのおばあさん、耳が遠いらしく、ちっとも会話が成り立ちません。聞けたのは、「小松野道は、そこを入って橋を渡り、最初の家が見えたら山に入るんだよ。」「そこの祠は、この下の畑にあったのを集めて祀ったんだよ。屋敷の神様だよ。」「山本製糸工場? 山本という家はここにはないねえ。」ということぐらいでした。
 うーん、これでは不十分です。早々にお礼を述べておいとましました。(後で分かったことですが、このお宅は今年から私と同じ職場に勤めている同僚のお家でした。うーん、奇遇…!)
 そういえばこの先の神社に、一条のサイの神があります。見に行きながら誰かいたら聞いてみることにしましょう。
 おや、川向こうの家の庭で、おじいさんが日向ぼっこをしています。そこで早速声をかけてお話を伺いました。こちらではかなり詳しく聞くことができましたよ。

「小松野道を大沢と堀切から来た? それはそれは…。峠のすぐ下に元は玄通寺という寺があってね、今でも墓石が2つ3つ残っているんじゃないかな。」

「あそこにある碑は、この奥にあった金山のことを記した碑だよ。昭和の中頃までずいぶん盛んに掘っていたよ。その頃は機械で掘れるようになったから、産出量も増えたらしいよ。お陰で町が豊かになったので、そのことが書いてあるんじゃないかな。」

「南上の方から鉱山に勤めている人たちが朝、そこの道を自転車で通っていくのをよく見たものだったよ。」

「金山は、小松野道の入り口を過ぎてからもっと奥に行くんだよ。トロッコ? ああ、あったさ。線路も残ってたね。昔は遊びにカンテラを持って坑道に入ったもんだったよ。いまはもう坑道は塞いであるけどね。」

「製糸工場をやっていた家は、日枝神社知ってる? そこを曲がって少し行くとあるよ。立派な家だよ。製糸工場をやっていた人は今でも元気でいるよ。行ってみなさいよ。」

 こんなことを伺って、次はいよいよ元製糸工場をしていた家を訪ねてみることにしました。
 途中、日枝神社(一般的には大地の神様といわれているようです)のサイの神を訪ね、ついでに境内に行ってみました。サイの神は、参道(石段)の脇にあります。石段の反対側には、「南無阿弥陀仏・□国四国秩父板東八十八カ所・文政十年 村中安全」と記された巡拝供養塔(高さ2mほど)が立っています。社殿の横には、いくつもの石祠が祀ってありました。


         一条のサイの神

 また、神社の脇には、何と六地蔵や庚申塔、三界万霊塔などが並んでいました。どうして神社の脇に六地蔵様があるのでしょう。もしかして昔ここにお寺があったのかな?



 さて、肝心の竹炭工房を訪ねますと、広い敷地にいくつもの立派な炭焼き釜が並び、熱心に事業をしているようでした。が、残念ながら主は留守でした。お昼に犬の散歩に出かけていたのでしょう。お話を伺うのは次回ということにいたしましょう。


        元は製糸工場だった竹炭工房

 さあ、これで小松野道は横川−一条のすべてを制覇したことになります。人に尋ねながらの探索ですので手間も時間もかかってしまいましたし、淋しさに打ち勝って歩くのも大変でした。でも、古道に残された往事の面影や忘れ去られようとしている石造物を見ていますと、また来なければならない気持ちになりますし、次の世代に語り継がなければならない思いにも駆られました。行きたい方がおられましたら、一緒に行きましょう。ご案内します。

 さあ、次は再び元製糸工場を訪ねることにして、古道探索はどこに行きましょうか。白浜の人が『塩の道』と呼ぶ、落合−白浜の峠道を訪ねましょうか。蛇も怖いけど、もう慣れちゃいました。

                                             
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