葉

小松野道(中編)
上大沢から大賀茂の堀切へ
  伊豆のシルクロード〜稲梓と一条を結んだ絹の道
 探訪2001年8月9日 



 5月の連休に横川−大沢の道を訪ねた後、夏草が茂る季節となったため、古道の探索は控えていました。ところが、夏のリフレッシュ休暇をとって家にいると、どうも体調がよくない…、腰が痛いのです。そう、私は運動をしないでごろごろしていると、腰が痛くなるのです。腰痛が持病のようになっているのです。これはもう、古道を歩くしかありませんね。
 そこで、出かけました。懸案だった小松野道へ。この道は南伊豆と天城路を結ぶ主要路で、江戸時代に大変栄えたそうです。明治から昭和の戦時中にかけては稲梓の養蚕農家が繭をしょって一条の製糸工場に通ったそうです。いわば稲梓のシルクロードというわけです。先に稲梓の横川から下大沢〜上大沢を訪ねてありますので、今回はその後半、上大沢〜一条を目指すことにしましょう。さあ、今回、古道はどんな表情を見せてくれるのでしょうか。

 取り付きは上大沢の奥、オーシャンリゾートの入り口を左に見て200mほど行ったところから山に入ります。(オーシャンリゾートの入り口のを入ってすぐの突き当たりからも道がある、と国土地理院発行の地図に記されています。その方が近道ですが、オーシャンリゾートは無断立ち入り禁止とされていますので、アポをとってから来た方がよいですね。)先に横川から来た時の出口(小松野道−前編を参照)からは、車道を下ってもよいですし、民家の間を古道も通っているようです。


       小松野道への入り口

 蓮台寺方面を左に見て、山道に入ります。(バイクが止まっている方向へ山を入っていくのです)道は緩やかな上り坂。5分ほど歩くと、四辻に出ます。実はこの日に先立って下見に来ていたのですが、その時は道が分からず、一番右の道を行きました。すると、これから行く峠までつながってはいるのですが、地元の人に聞いたところ、それは回り道であるとのことでした。


     いかにも古道という感じがします


          最初の分岐です

 ここは、まっすぐ進んでください。わずかに下りになります。一番左はただの山道で、昔この下にあった田んぼに行く道だそうです。右は、稜線に沿って進む迂回路です。そちらに行くとかなり遠回りになりますよ。

 さあ、ではまっすぐ進むことにしましょう。最初だけ夏みかん畑のはじを歩きます。初めて来た時は、(なあんだ、畑に行く道じゃないか…。)と早合点して右の迂回路を行ってしまったのですが、ちゃんと道はありますので、どんどん進んでください。
 すぐに道はヒノキ林の中に入ります。左に沢が見え、オーシャンリゾートから来る道と合流します。

 踏み跡はしっかりしていますし、沢に沿って登る道ですので、迷うことはないでしょう。このところずっと雨が降っていないせいか、沢の水はごく少なかったです。


     朽ちた木の橋が淋しさを漂わせます

 沢の左岸(下流に向かって左の岸)を歩いていくのですが、道幅はかなり狭く、潅木の枝が行く手を邪魔しますので、歩きやすくはありません。まるでインディジョーンズの世界です。おまけに時々「ブーン。」という虫の羽音が頭の上ですることがあり、不気味です。スズメバチだったら怖いですよね。谷筋の道なのであたりは暗く、さびしいところです。
 さて、取り付きから歩くこと20分ほど、あたりが広くなったところで峠に出ます。と言ってもまわりは鬱蒼と茂る森で、眺望はまったく開けません。この峠には、特に名前はないそうです。切通しのところに椎の大木が立ち、また、別の椎が朽ちて倒れています。その根元に、五輪塔と宝篋印塔らしき石造物の上半分が積んであります。またその向かいには、石塔(高さ80cmほど)が立っています。塔には銘が刻んであるようですが、判読不能で、下部にひし形をした紋様がふたつ見られます。これはよく庚申塔に彫ってある三猿が手を顔に当てている形(腕を曲げた形がひし形に見えますよね)に似ているので、ひょっとして庚申塔かもしれません。さらに少し離れた所に、五輪塔の一部と見られる石造物が落ちています。


                  昼なお暗い峠の様子


              峠の石造物 その1


          峠の石造物 その2


           峠の石造物 その3

 さあ、さびしい所なので、先に進むことにしましょう。五輪塔と石柱の間を通って、向こう側に下ります。ここからはもちろん下りになります。
 峠の下には、かつて玄通寺というお寺があったそうです。敷地は下田北高の運動場ほどもあったそうで、昔は上大沢の中学生たちが野球をするために通ったそうです。 しかし今は竹が密生しているばかりで、往時を偲ぶ事はできません。わずかに当時のものと思われる石垣が残っています。
 峠から見ると一面の竹やぶですので、(歩けるのかな?)と思ってしまいますが、大丈夫。人が一人歩けるだけの道が続いています。


             玄通寺跡の竹藪

 竹やぶを出ますと、右に沢が見えます。が、じきに道は沢から離れ、山の斜面を九十九折になって南に下ります。ここからも倒木が目立ち、決して歩きやすくはありません。おまけに蜘蛛の巣も所々で張っており、いきなり顔にかぶさるので、びっくりしてしまいます。ここは竹で前を払いながら進むのがよいです。

 この日はなぜか上空でヘリコプターの音がしました。まさか陸上自衛隊のヘリではないでしょうが、レンジャー訓練の部隊に出会ってもおかしくないような道です。すると、おや? 前方でうごめく怪しいものが…、おお、これは蛇くん。しかも、マムシです。(^_^;) 夏はこれですから嫌なんです。といっても、驚いたのは向こうも同じだったようで、マムシ君はあわてて逃げていきました。ちなみにこの日は3匹の蛇に出会いました。

 さあ、先を急ぎましょう。道は所々で崩れており、それを避けるように分岐しているところがありますが、すぐに合流します。基本的に道はU字型に掘り進んだ形でできているので、まず迷うことはないと思います。


               下り道の様子

 そうして歩くこと、峠から20分ほど。雑木林からヒノキ林の中を通るようになったと思ったら前方が明るくなり、まもなくコンクリート舗装の林道にでました。そしてその出口には、3体のお地蔵様があるではありませんか。うーん、これはここが間違いなく古道である印です。 きっとここは大賀茂の堀切の奥に違いありません。ということは、出ました!小松野道の続きを歩けたのです。ばんざーい!

 と、見ますと、すぐ近くに首から上のないお地蔵様があります。台座を見ると、おお、これは道標になっています。まさにこれが資料(県教育委員会発行『下田街道』)に記された道標銘でしょう。お地蔵様のお姿は完全ではないものの、掘られている文字はかなり鮮明に残っています。資料によりますと、「右大賀茂 中天城道 左山道」と記されているそうです。


        おお、林道に出ました


        林道との合流点にあるお地蔵様


   台座が道標になっているお地蔵様

 ここから奥に林道が延びているので、そちらを進めば一条に通じていると思われましたが(実際は違います)、今日はとりあえず里に下りて、ここが堀切のどこに出るのか確かめることにしました。

 道なりに下っていきますと、左右に畑が見え、林道もところどころで分岐しています。まもなく道がいったん下って上りになるところがあります。ここだけ木々のために少し暗くなっています。そこの左に石祠があり、すぐ先に丸彫単座像のお地蔵様がありました。後で聞いたところ、石祠は堀切のサイの神で、お地蔵様は御大師様(弘法大師)とのことです。


              堀切のサイの神


    サイの神のすぐそばに鎮座するお大師様(弘法大師さま)

 堀切のサイの神様には、いくつかのお供え物がしてありました。サカキのほかに、古いお雛様と木製の郵便受けと卒塔婆のような木札がありました。郵便受けを備えるなんて不思議ですね。以前はここでどんど焼きをやったそうです。そっと手を合わせて画像を撮り、先に進むことにしました。

 道なりに下っていきますと、やがて畑や作業小屋が現れ、草刈り機のエンジンの音がしてきました。そろそろ集落が近いのでしょう。おお、畑の向こうに集落が見えます。堀切の一番奥に出たのでしょうか。さらに遠くが見えるところまで歩きますと、あ、あれは3月まで一緒の職場で勤めていた同僚の家。やっぱりここは堀切の奥だったんですね。


          古道の出口から見た堀切の集落

 さて、ここまで来ましたら、土地の方に古道の様子を伺いたいものです。
 まず、畑で草刈りをしていた男性に声をかけたところ、「私はここに住んでいないので、詳しいことは分からないなあ。そこの家で聞いてみたらいいよ。昼だからいるだろうよ。」と、答えてくれました。
 そこで、次に集落の一番奥のお宅を訪ねてみました。広い敷地にいくつもある家屋。きっと古くからここに住んでおられる家でしょう。
 裏口をそっと開けて「ごめんください。」と声をかけますと、二十歳くらいの若い男の子が出てきてくれました。私が古道を訪ね歩いていることを話しますと、お父さんらしき人を呼んでくれました。すると、見ず知らずの私を応接間に招いてくれ、おじいさんも呼んでくれて、昔の話をしてくださいました。こんなに親切に教えてくださるなんて、堀切の人はなんていい人たちなんでしょう。

 ここで教えていただいた話は、次のようなことでした。

「峠にはよく大蛇が出て旅人を食ってしまったため、ある和尚さんが退治をし、以後そんなことがないようにとお寺を建てたそうですよ。うちのばあさんが盛んにその話をしていたね。それが玄通寺で、大正6年に玄通寺は一条の里に下りたですよ。」

「小松野道は、その昔、『南八千石 東三百石』といって、南伊豆と大賀茂と天城方面をつなぐ唯一の道だったんですよ。旅をするにも荷物を運ぶにもこの道を歩いたし、ほかの土地との交流ももちろんありましたよ。うちのおばあさんは一条から嫁に来たし、この下の家の娘さんは大沢に嫁に行きましたよ。」

「戦時中までは、稲梓の方から養蚕農家の人たちが繭をしょって一条の山本製糸工場まで繭を売りに来ましたよ。製糸工場は立派な屋敷があって、今では竹炭を焼く仕事をしていますよ。工場の人は今までも元気だから、行けば話をしてくれるでしょうよ。」

「昔は馬や牛に荷物をしょわせた商人や旅人が通ったものでしたよ。」

「サイの神は、この上の道を奥に行って、少し下ったようになっているところにありますよ。隣にあるのは、うちで建てた御大師様です。御大師様というのは、弘法大師ですよ。」

「林道にあったお地蔵様は、村境を示すお地蔵様だね。一条に行くには、そのお地蔵様の前の林道を横切って行くんですよ。 奥に見える山は『ばち山』という山で、その向こうを通って一条に行く道があるんです。山の向こうに石の塔が立っているんですが、あれも道標のようなものではないでしょうかね。」

 いきなり訪ねていった見ず知らずの私をお宅に上げてくれて、紫色のしそジュースや地図を出して詳しくお話を聞かせてくださいました。何と暖かい方々でしょう。古道を歩き終えた喜びにもましてこのおもてなしがありがたかったです。
 さあ、次回は小松野道の後半、一条までの道を歩いてみましょう。元製糸工場も訪ねて、昔の話もぜひ聞いてみたいものです。
                                             
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