葉

加増野の古道を歩く
下田と松崎を結んだ甑場越え(こしきばごえ)の一部
2002年3月21日探訪   
 
加増野から
 加増野の古道につきましては、梓の里付近から婆娑羅の旧峠を越える道を別のページで紹介してあります。今回は、その梓の里から逆方向の東に向かって歩く古道を歩くことにいたしましょう。

 県道下田−西伊豆線から下田カントリークラブ方向へ入り、梓の里の前を行き過ぎますと、「梓の里職員駐車場」と書かれた看板があります。その付近は古道の交差する地点で、蓮台寺から松崎へつながる「甑場越え(こしきばごえ)」と、加増野から青野へつながる「青野道」の交差点であるのです。甑場越えの道は、県道から200mほど離れた南側を、県道に並行するようにして東西に走っています。この辺りには、青野道の入り口を示す大正年間の道標や、個人宅にある立派な宝篋印塔、朽ち果てたサイの神などがあります。見て回るのも楽しいです。

 さて、車を近くに置き(駐車禁止場所とはなっていません)、さっそく歩き始めることにしましょう。とは言っても、峠を越えるわけではなく、片道20分程度のウオーキングです。気楽に行きましょう。
 梓の里職員駐車場の看板を正面に見て左側(東)に、幅1mちょっとの道が森に入っていくのが見えます。ここから「下条」のバス停までの間に、古道が残っているのです。もちろん看板を右に進めば、神明神社を経て旧峠につながります。
 森の中はひっそりとして淋しい感じです。女性が一人で歩くにはふさわしくないかもしれません。誰かと2人以上で歩くのがよいですね。初めは杉林の中を歩きますが、徐々に木立がまばらになり、明るくなってきます。


      古道の入り口(ちょっと怖そう)


        やっと明るくなりました

 途中で、吾妻山の麓の集落が見えました。稲梓は、田舎ですねえ…。いい風景です。


          途中で見える加増野の集落

石造物群〜庚申塔
 やがて道の左に3つの石塔が立っているのが見えてきます。石組みに祭壇の上にきちんと立ち並び、お線香を上げてあるところを見ますと、どなたかがお世話をしているようです。(この画像は、振り返って撮っています。)


       椿の木と3つの石塔

 表面が苔むしているために刻銘ははっきり読めませんが、ここに記してみます。


          この画像は2008年4月5日に撮影しました

 向かって右の石塔には「享保十九年(1734年)青□□」「奉納大乗妙曲六十六部」「大江村□休□白」、中央のには「奉□□霊界四国八十八カ所供養」、左のには「寛保元亥酉元年(1741年)天同□三郎」「奉請青面金剛明王」「九月吉日當村中」と彫ってあります。要するに巡拝塔と供養塔、そして庚申塔ですね。他にも何か彫ってあるようなのですが、摩滅や苔のためにはっきり読めません。でも、かなり古い年代の石塔です。この辺りが古くから信仰が厚く、このような供養塔を建てられるほど経済的にも豊だったとも言えるでしょう。(この石塔と道を挟んだ反対側に、無数の墓石があります。墓石=ほとんど無縁さんでしょうが、道に沿ってあちこちで見かけます。)

お話を伺う
 そっと手を合わせて道を進みますと、すぐ近くのお宅に奥さんらしい方がいらしたので、話を聞いてみることにしました。

「すみません、あの神様はどういう神様でしょうか?」

「あなたはどちら様ですか?」

「(あっ、失礼しました)本郷から来た者で、古い道を訪ね歩いています。」

「そうですか、あれは庚申塚ですよ。私らと向こうの家と下の家の3軒が世話やお参りをしています。今でも年に1度、持ち回りで庚申講を開いて集まりますよ。私たちが復活させてやるようにしましたよ。食べ物を用意して、話をしたりお経を読んだりするんです。午前中はこどもたちがやる“子どもぶるまい”、夜は大人が集まる“大人ぶるまい”と言います。少し前までは和尚さんを呼んでお経を聞いていました。相玉に庚申堂があるでしょ? あそこの和尚さんを呼んでお経を読んでもらうんですよ。」

「そうなんですか、みなさん、神様を大切にされているんですね。」

「ええ、うちのおばあちゃんは、毎朝よろよろしながらお参りして、お供え物をしていますよ。そうするとカラスがそれっと飛んできて、みんな持ってっちゃいますよ。」

「おやおや、そうですか。」

「あとはね、すぐそこにあるのがサイの神。子どもの神様ね。それと、向こうの田圃の中に“子安さん”があります。桜の木の下ですよ。安産の神様で、お産をする女の人が、お産が軽くて済むようにとお参りするんです。そしてお産が無事終わると、お礼に供物を上げるんですよ。」

「そうですか、ところでこの道は下田から松崎に行く古い道だそうですね。」

「そうですよ。向こうの方(東)からずっと上がってきて、ここを通って行ったんですよ。」

「いいお話をたくさん聞かせていただいて、ありがとうございました。」

「いいえ、今年も9月に庚申講をやるので、覗いてみてくださいよ。」
 
 今の時代に庚申講を行っていると聞き、昔からの信仰を大事にする土地柄なんだなあ、と思いました。(そういえば、白浜でも庚申講がまた行われるようになった、と耳にしたことがあります。古い時代への回帰がすすんでいるのでしょうか。)やっぱり土地の人に話を聞くのはいいですね。この奥さん、語り口調がとてもなめらかで、専門のガイドさんの話を聞いているような気がしてくるほどでした。その方面の仕事をしていた方なのかな?

加増野のサイの神様
 サイの神は、屋根の形が、この辺りで多く見られる石祠と違っています。これは、相玉おふくろまんじゅう近くのサイの神に酷似している形です。祠には蓋がなく、中に丸石が入っています。高さは祭壇から40cmほど。何年もここにあって通る子どもや旅人を見守っていたんですね。

           加増野のサイの神           となりは常夜灯でしょうか?

 さあ、先を進みましょう。子安さんも見てみたいですし。

 この辺りは、軽トラックなら通れる幅になっています。梓の里から歩くこと十数分。椿の立派な生け垣が見えますと、道は左に大きく曲がって下り、県道につながります。そこが「下条」のバス停です。資料によりますとまだ古道は山裾に沿うように続いているようですが、辿ることはできません。事実上、下条バス停で古道は終わりです。


      この辺りで古道は終わり

 おや?子安さんはどこにあるのでしょう。目印の桜の木は…、ないですね。田んぼの中というのでそれらしいところを探したのですが、あるのは墓石ばかりです。残念、またいつか訪ねてみることにしましょう。

子安さまです
 2007年になって、ようやく子安様の祀ってある場所が分かりました。翌年4月に写真を撮ってきましたので、紹介します。サイの神様の前から川を渡り、山の方を見ると、大きな桜の木があります。その下に、子安様はひっそりと佇んでいます。


       この桜はどんな花を咲かせるのでしょう


            子安様は端正な形をした石祠です

 今回の古道探訪はこれで終わりです。梓の里から下条まで、ゆっくり歩いても往復1時間弱あれば十分です。婆娑羅旧峠への道と連続で歩くと、かなりいい運動になるでしょう。

 さて次回は、下草が生えないうちにぜひ青野道に挑戦したいです。ゴルフ場の辺りは道があるのでしょうか。そして路傍の石造物は? 青野の集落へはどんな風につながっているのでしょう。ちょっと不安なので、非常食持参で行くことにいたしましょう! 
                                             
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