前から訪ねてみたかった『樫の木地蔵』へ行ってきました。3月は、花粉症の私にとっては辛い季節ですが、資料収集のためにはしかたがありません。
今回は、須郷の旧バス回し場から歩いていきました。
林道を道なりに行きますと、左にサイの神があり、やがて山神様と龍爪さんがあります。こちらは別のページで紹介していますので、ご覧ください。
別の林道との分岐を過ぎると、田んぼの中に、周囲の景色に不釣り合いなほど巨大な岩があります。これは、関東大震災の時に山から落ちてきた岩だそうです。
田んぼに不釣り合いな巨岩
道は、沢に沿って登っていきます。この辺りからはわさび田が作られており、鮮やかな黄緑色の葉が目を引きます。
沿道のわさび田
バスの回し場から歩いて30分ほどで、林道の終点につきます。右にわさび運搬用のモノレールを見ながら、左の山道を奥に入ります。
林道の終点
道の傍らに、小さな案内板があります。大きさは、B5版の下敷きほどです。
道は、左に山肌、右にわさび田を見ながら進んでいきます。荒れてはいませんが、かなり急な登り坂です。
道の様子です
やがてわさび田を横切るところがあります。道はさらに奥に延びています。
わさび田を横切って向こうへ
すると、まもなく『樫の木地蔵170m先』の案内板があります。ここは、迷いやすい所です。案内板の通りに左に行きますと、やがて道は途絶えます。この看板がありましたら、右手の沢を渡ってください。橋は架かっていません。モノレールの軌道も、よいしょとまたぐのです。
沢を渡りますと、わさび田の中に、向こうに通じる道があります。
ここでもう一度横切って…
道が正しければ、対岸に『樫の木地蔵150m先』という案内板があります。ここからお目当てのお地蔵様には、歩いて5分ほどで到着します。
山肌を左に見ながら歩いていきますと、やがて杉林の中の稜線に、大きく枝を広げた古木が見えてきます。これが『樫の木地蔵』の樫の木です。
近づいていきますと、大きな樫の木の根本に、お地蔵様が並んでいるのに出会います。林道の終点からここまで、20分間を要しています。
樫の古木とお地蔵様
樫の木に守られるようにしてお地蔵様があります
やっと、念願の樫の木地蔵につきました。思ったよりたくさんのお地蔵様が並んでいます。
資料によりますと、この樫の木は、樹種名ウラジロガシ、樹高14m、枝張14m+7m、周囲目通(幹の回りの長さ?)5.7m、樹齢300年とのことです。
お地蔵様は、いずれも樫の木に守られるようにして並んでいますので、保存は良好です。お地蔵様は、7体あります。ただ一体だけ、ひどく剥落して石柱のようになっているお地蔵様も見られます。資料には、「既に一体は樫の木の幹に吸収されていると言われる…。」とあります。すごいことですね。
これらのお地蔵様のほとんどに刻銘があり、はっきり読みとることができます。年号は、『弘治(1555年〜)』『天保(1830年〜)』『安政(1854年〜)』などの時代名が記されています。また、願主名として『須合…』の刻銘がありました。昔は、『須郷』でなく『須合』と言っていたのでしょうか。
辺りは杉林ですので、お地蔵様を見ているうち、私はくしゃみを連発し、鼻もぐずぐずになってしまいました。この日は気温も低かったので、また来ることをお地蔵様に約束し、早々と山を下りることにしました。
里に下りてから、畑仕事をしているご主人にいろいろ伺ってみました。昔は年一回、この集落の人たちがお団子を持って樫の木地蔵にお参りしていたそうです。でも、今ではそうしたことはしなくなって…、と、少し淋しそうな目をされました。樫の木地蔵からさらに奥に延びる道がありますが、そこを進みますと、じきに林道 大鍋(河津町)-池代(松崎町)に出るそうです。目金の集落から山を見ると、林道を行く車がきらりと光るそうです。
このご主人には、他に龍爪さんやサイの神の話も伺うことができました。やはり地元の方に話を伺うのは大変よい勉強になります。よろしければ、そちらのページもご覧ください。
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