葉

金谷宿早歩き
出張 2008年5月23日   
 
島田市金谷へ
 私が金谷を初めて訪れたのは、高校1年生だった昭和48年の夏休みでした。当時入っていた「旅行クラブ」の1泊旅行で、大井川鉄道に乗って井川を訪れたのです。その頃から私はシャイでしたので、女生徒のクラブ員と話をすることなく、ひたすら車窓の景色に目をやる、という淋しい旅行でした。当時の顧問、石田先生はお元気かなあ。

 二度目に金谷を訪れたのは、それから4年後の大学2年生の夏。当時入っていた「Y梨大キャラバン会」の夏山行で、南アルプスに入山するため、同級生の梶川君と一級先輩の高橋さんと共に、金谷駅で野宿したのでした。夜遅い列車で金谷駅に降り立ち、誰もいなくなったホームの木のベンチの上で寝袋にくるまりました。時々通過する夜行列車や貨物列車の音に熟睡できず、翌朝は眠い目を擦りながら大井川鉄道に乗り込んだことを覚えています。

 あれから30年。平成20年5月23日、仕事上の研修会に参加するため、島田市金谷公民館に出張を命じられました。30年前には単に通過しただけの金谷であったのですが、金谷とはどんな街だったのでしょう。金谷公民館は金谷から大井川鉄道で2つめの代官町駅にあるといいます。せっかくなので、早めに金谷に行って、歩いてみることにしましょう。

金谷駅の廃トンネル
 午前8時過ぎ、私の乗った東海道本線下り列車が金谷駅のホームに着きました。
 改札口を出ようとすると、ん? 何かホームのずうっと外に、異様なオーラを感じます。何でしょう、異様に胸が騒ぎます。

 ホームの端へ移動して見ると、何やら外に石組みがあるようです。


         改装されて間もないような新しい駅舎です

改札を出て、西側(下り方面)の有料駐車場の方に行ってみました。すると、駐車場の奥に怪しいスペースがあるではないですか。


             広い駐車場の奥に何かある!

ト、トンネルです〜!


        古いトンネルが黒い口をぽっかりと開けています

オーラを発している主は、この廃トンネルでした。


                い、いきなり出ましたあ〜!

金網も鉄柵もないので、入れるかな?と思いましたが、土砂を放り込んであるので、入ることができません。


               鉄柵は、ナシ! 入れるのか?!

土ばかりか、古自転車まで放り込んであります。これはひどい。東海道本線のトンネルですから、明治期の竣工でしょう。貴重な産業遺産が泣いているように思います。


            ぐえ〜、ひどいありさまです

坑内を見ると、赤いレンガが黒い煤で汚れていました。蒸気機関車時代から使われていたのでしょう。



坑内灯の取付板らしい金具が残っていました。剥がれ始めた赤煉瓦が痛々しい感じです。



送電線の碍子はこの通り。無惨であります。


              うう、これもひどい…

奥を塞いでもいいですから、せめて入口だけきれいにして、「金谷駅の明治トンネル」として公開展示したらどうでしょうか。観光資産になりません?良いアイデアだと思うんですけどねえ。

 しかし後で考えてみたのですが、なぜこの廃トンネルは一つしかないのでしょう。明治期の東海道線だって、複線だったはずです。

 となりますと、この廃隧道は二つ並んでもう一つあるはずです。でもそれが見られないのです。もしかして現役のトンネルがその片割れを拡幅して造られたのでしょうか。

トンネルにカメラを向ける私に、工事車両が突っ込んできました。撮影の邪魔をするつもりのようです(ウソ)。


     どけどけ〜、という感じで入ってきたトラック お仕事ですね、すみません

ホームの跡などがないか見てみましたが、線路の付け替えなどを行った後で整地したらしく、私には何も見つけることができませんでした。


       何か遺構がないかな〜と見てみたのですが・・・

後で調べたところ、現役のトンネルの方は「牧ノ原トンネル」という名であることが分かりました。ということは、
この古い隧道は、「旧牧ノ原隧道」と呼べるのでしょうか。そうそう、この西側の坑門はどうなっているのでしょう。大変気になります。

大井川鉄道金谷駅
 廃トンネルの探索はあきらめて、東側(上り方面)にある大井川鉄道の駅舎に行ってみました。


          画像右側にJR金谷駅のホームがあります
 
駅舎は、通勤客や観光客で賑わっていました。さすがはSLの発着駅であります。


          ほとんどは通勤客のようですが

外国人のお乗車客もいます。


          「切符くださ〜い」と言ってるの?

こういう雑多で鄙びた感じがいいですね。


              売店には商品がびっしり

壁にはSLのきれいな写真がたくさん貼ってあります。マニアが撮って駅に贈ったのでしょう。


           いい感じですねぇ どれも素晴らしい写真です

SLは一日2本走っているようです。ただし運転日注意だそうで、本数は変動するようです。

始発は6:14で終発が21:25。伊豆急線より運行時間は短いですね。伊豆急は下田駅の始発が5:35で終発が23:25ですから。


         千頭まで何分かかるのでしょう 乗ってみたくなりました            

しかし残念、ここ金谷駅には引き込み線などはなく、ただ単線のレールと1つのホームがあるだけ。SLの勇姿は見られないのでした。実は大いに期待していたのですが、SLが見られるんじゃないかと。


          大井川鉄道金谷駅にSLの姿はありませんでした

金谷宿を歩く
 金谷駅を出て、研修施設へ歩いて行くことにしました。
 金谷駅を出て間もなく、大井川鉄道のガード下から電車が停まっているのが見えました。こんな色と形の車両なんですね。これは9時16分発の列車でしょう。お茶畑の中を走る線路なので、車体もお茶の色をしているのでしょうか。


    緑色をしているのは、お茶の色を意識しているため? お茶は名産ですからね

ガードの入口に、一里塚跡を示す案内板がありました。ここ、金谷は、東海道の宿場の一つ、“金谷宿”であったそうです。



ホントはこの電車にも乗りたかったのですが…、歩いた方が街の発見が多いと思いました。帰りに乗ることにしましょう。


       
駅からのメインストリートです。なだらかな下り坂になっています。


     駅前通には古い宿場町という雰囲気は少ないようですが…

路線バスの小さな車体が走ってきました。「おでかけバス」と書いてあります。市営バスでしょうか?



そのバス停の前に、こうした金谷宿の案内板がありました。



ここに金谷宿の「柏屋本陣」があった、と書いてあります。



「金谷坂」や「菊川坂」というよさそうな坂道もあるようですよ、MISOさん。



案内板の隣りに、なにやら風情のある雑貨屋がありました。



こ、このホーロー看板! 由美かおるは健在であります。しかし「アース渦巻」の看板、昔は至る所に貼ってあったように覚えていますが、今はほとんどなくなりましたね。



金谷の家並み
 歩いていくと、古い家並みが見えました。



信号のある交差点で左折して、北に向かいます。民家の前には、このように祠が祀ってあります。屋敷神様でしょうか。


            石祠の向こうに木祠も見えます

住宅の裏には水路がありました 水の街三島と違って景観としては今イチかも…(ゴメンなさい)。


 
立派な倉も建っています。でもトタンを被せてしまってあるので、元の姿は想像できません。なまこ壁、ってことはないでしょうね。



素戔嗚尊(すさのおのみこと)を祀る八雲神社がありました。鳥居はくぐりませんでしたが、境内はとてもきれいに手入れされていました。



北に向かう道をさらに歩きます。昔からある通りのような景観をしていました。



金谷公民館に到着
 金谷駅から歩くこと20分間。大井川鉄道2駅分を歩いて、研修会場である金谷公民館“みんくる”に着きました。ここで120人ほどの参加者が集って研修会が行われるのです。


      これはもう「公民館」というイメージではありませぬ 立派すぎます

 研修会の主催者挨拶の中では、「研修時間中ではありますが12時少し前に窓の外をSLが通りますので、ちょっと目を向けてみるのも面白いと思います。」と紹介されました。しかし残念なことに、私の参加する分科会の部屋からは、線路が見えないのでした。がっかり。

それにしてもこの上の画像を撮ったキヤノンのコンパクトデジカメのレンズは、樽型収差が酷いですね。直線を貴重としてデザインされた建物を撮ると、全く役に立ちません。悲しい・・・。


      全体会場 線路はどっちに?

 研修会で勉強した後、帰ることにしましたが、電車が来る時刻まで40分間もあるので、また金谷まで歩くことにしました。その間、大井川鉄道ではロビーに臨時発券所を設け、駅が混雑しないように配慮していました。小回りの利く鉄道会社です。いい感じ。


           大井川鉄道 みんくる臨時切符売り場です

 帰りも、来た時と同じ道を歩くことにしました。天気がよいので、帽子を被ってきてよかったです。

 あちこちに目をやりながら歩いていくと、表通りから少し入ったところの辻に、こんな祠がありました。


         祠のあるこの建物は民家でしょうか 分かりません

 木造の古びた建物の脇に、これまた木製の祠が建っています。祠の中には、さらに小さな木祠が祀ってありました。道祖神のような意味合いを持つ神様でしょうか。この建物も、一体何なのでしょう。あいにく近くに誰もいなかったので、尋ねることができませんでした。

木祠と石祠
 ここで、なぜ祠が木製なのか、考えてみました。

 伊豆では、祠は石で作られていますが、それは伊豆半島が火山帯にあり、花崗岩や凝灰岩を多く産出することから、石を素材とした建造物が多く造られた背景があります。江戸期のうちから、長野の高遠や神奈川の三浦半島などから石工がやって来て、数多くの石丁場が開発されたということです。石工達が祠を作る時、石を素材としたのは自然なことと言えるでしょう。

 一方、金谷は大井川の流れが運んだ土によって形成された扇状地にあります。その奥にあるのは、豊かな森林です。この森林資源を使って、林業や木工業が発達しました。祠の素材に目を向けるのは、やはり自然なことであるでしょう。

 ちなみに、静岡市には田宮模型や長谷川模型、青島教材など、たくさんのプラスチックモデルを作る会社があります。なぜ静岡市にプラモデル会社がたくさんできたか、その訳も耳にしたことがあります。それは、元々は木材加工を専門にしていた会社が静岡市にたくさんあったのですが、木材の輸入や建築材の変化によって徐々に業界が縮小していき、その結果、たくさんいた木工職人さんの技術をプラスチック成形に生かすことで、新しい産業への活路を見出した、ということです。

金谷駅再び
 大して街並みを見学することもなく、金谷駅に着きました。もう帰るだけなのですから、もっと見てくればよかったです。

 大井川鉄道駅の線路には、こんな車輪が飾ってありました。


           車輪に近寄って見ることができないのが残念

ホームにはこんな看板も立っています。南アへはここから大井川鉄道に乗って井川まで行き、入山するんです。しかし植栽がドクダミとは…。



東海道線の上り列車を待つ間、レールがコトンコトンと小さな音を発し始めたと思ったら、下りの貨物列車が走ってきました。機関車はEF66? 磯さん。


       駅に来ても乗降客のいない貨物列車は孤独だと思います

貨物列車はたくさんのコンテナを載せて、3つあるトンネルの一番左へ入っていきました。



やがて16時10分発の興津行き下り列車が到着しました。これに乗って帰ります。



 静岡駅で降り、回転寿司の名店、“魚河岸”の静岡駅店でちょっと早い夕食をとりました。このお店も注文がタッチパネル式になっていて、ちょっと興ざめしました。(もちろん口頭での注文もできます)


       いつも安い皿しか頼みません それでも旨いんです

 今回の金谷探訪は、駅と研修会場の間の道しか歩かなかったので、十分ではありませんでした。金谷宿の戸をノックして中に入らずに帰ってきたようなものです。駅舎には、散策コースの案内がありました。駅の西によいルートがあるようです。今回は歩いた方角が逆でした。次回は出張ではなく散策そのものを目的として訪れたいものです。


      よさそうな散策コースがあるではないですか 行ってみたい!
                                             
トップ アイコン
トップ

葉