葉

柿木にサイの神を探す
探訪2003年10月11日   
 
サイの神様のいる里 
 最初に柿木の里を訪ねた時に法泉寺の石造物を見て引き返したため、別の日にもっと奥に入って庚申塔などを探そうと思っていました。

 あれから1週間。資料『下田街道』を手に再び柿木を訪れました。ねらいは、法泉寺の先の火の見櫓の根元にあるという庚申塔です。


         柿木の里の入り口

 下柿木から青羽根に通じる古道を訪ねて落胆した後、一旦下柿木まで戻って、法泉寺の奥へ行ってみました。めあての火の見櫓は、法泉寺からほどないところにあるはずです。(そうならこの前来た時に見ておけばよかった…。)と思いながら行ったのですが、なかなか見つかりません。とうとうこんな所まで来るはずはない、という所まで来てしまいました。もしかしたらすでに火の見櫓は取り壊されてしまったかもしれません。なにしろ『下田街道』は、原典が昭和の時代の資料です。それから古道の状況が変わっていても不思議ではありません。

中村のサイの神
 仕方なく本柿木の方に引き返していますと、田んぼの脇の道路沿いに、何やら石造物があるのに気がつきました。

 近寄ってみますと、おお、これは丸彫り単座像のサイの神様に姿がそっくりです。ほら、天城以北の街道沿いで見られる、あのサイの神です。こちらはやや小ぶりのものの、まさにサイの神に違いありません。

稲刈りの終わった田んぼに優しい表情がよく似合っています。でも『下田街道』には記載がありません。これは地元の方に聞くのが一番です。

 誰かお年寄りがいないかな…、と思っていますと、田んぼのすぐ上のお宅で洗濯機を回しているおばあちゃんがおられます。そこで、仕事の手が空くのを待って、話しかけてみました。


              中村のサイの神様
 
「あのう、あそこに見える神様は、どういう神様ですか?」

「ああ、あれは歳の神様、子どもの神様ですよ。この上のおばあちゃんの話では、うちの孫じいさん(最初のご先祖様から三番目のおじいさんということかな?)が横瀬からしょってきて、そこに置いたと言うことですよ。」

横瀬と言えば、修善寺町の横瀬のことですね。そう言えば、横瀬八幡神社の近くに石屋さんがあったような…。

おばあちゃんは続けます。

「昔の人は力があったと言うことだねえ。そのじいさんは、私がここに嫁に来た時は元気だったね。日曜日に竹を切ってきて歳の神様の近くに丸く立て、次の朝に団子を焼いてね、子どもたちは団子をもらって学校に行ったものさ。中村だって、昔は本柿木と同じくらいたくさん子どもがいたものだったからね。今では少なくなってしまったけど。」

「そうなんですか…。ここは中村と言うんですね。」

「そうだよ。その下が『下村』で、国道の辺りが『本柿木』だよ。」

「では、下村の方にもサイの神様はありますか?」

「あるよ。下村の歳の神様は、“縦道”のバス停のそばにあって、椎茸畑の脇にあるよ。本柿木の手前にも道ばたに立っているよ。」

「そうですか、後で探してみます。」

「ああ、行ってみなさいよ。それから、歳の神様には、子どもが腕に疱瘡をうえて、それがつくと(免疫ができると、という意味。私も子どもの頃やった記憶が…。あれはBCGかな?)、お礼として、“疱瘡だんご”をあげたねえ。白い丸い団子に食紅で赤い点をつけて、疱瘡の跡に似せてあるのさ。どこの土地でもやっていたねえ。」

そんな話をしながら、おばあちゃんは遠い目をなさいました。きっと昔を思い出していたのでしょう。

「そう言えば、この前も歳の神様の写真を撮りに来た人がいたよ。あんたは何で来ているの? そう、古い道を探して…。ご苦労さんです。頑張ってくださいよ。」

こうしておばあちゃんはていねいサイの神様について教えてくださったのでした。ありがたいですね

。こうして地元の方にお話を聞くのは、最高に楽しいです。(文中、おばちゃんのおっしゃる「歳の神」は子どもが歳を重ねていく過程に関わる神様、という意味で「歳の神」と仰っていたので、「歳」の字を当てました。)

下村のサイの神
 さて、おばあちゃんの話によりますと、下村のサイの神様は、「バス停 縦道」の近くの「椎茸の畑の黒いひらひらに触れるように」して、「道よりちょっと高い所にある」ということでした。

 バス停「縦道」は、さっき来た時に見ています。でも気がつかなかったなあ…、と思いながら行ってみますと、椎茸畑の黒いひらひら(遮光布)はすぐに見つかりました。

高い所と言うと…、と辺りを見回しますと、まさにサイの神があってしかるべき、という三叉路の南に、ありました!

 あれえ、ちょっとお姿が摩耗しているため、周囲の景色に溶け込んで、知らない人なら見過ごしてしまいそうです。通りで気づかないはずです。まだまだ勘が発達していませんね、私。


    バス停「縦道」の辺り サイの神様が分かりますか?


       下村のサイの神様 手に何を持っておられるのかな?

本柿木のサイの神と道閑塔
 本柿木と言いましょうか、下柿木といいましょうか、双方の集落が途切れたところの道ばたにあると聞いて、探してみました。
 しかし今回、このサイの神様を探すのに難儀しました。

 まず、下柿木のサイの神様を見た後、「道路の右に」あって、「すぐに分かる」というサイの神を探しながら行ったのですが、その前に、別の石造物を見つけました。

 初めはお墓かと思ったのですが、銘が違うので、よく見てみました。
 表に、「道閑塔」と彫ってあります。向かいの畑で作業をしていた若おばあちゃんに聞きますと、大正年間、今ここにある道が新しくできた時の記念碑だそうです。


         大正六年建立の道閑塔

 ここのおばあちゃんにも面白い話を聞きました。

 先日、柿木の古い話を聞きに来た人がいたので、おじいちゃんを紹介して話を聞かせたところ、「そんなに古い話をしてくれる人はめったにいない。年をとっていても、歴史に関心がなければ古いことは覚えていないものだ。あなたは次の世代の人のために、ぜひ記憶を記録として残すべきだ。」と説得されたそうです。

私にも「そのじいさんはあそこにいるから、あんたも聞いてみたらどうかね?」と勧めてくれましたが、当のおじいちゃんは屋根の上でペンキを塗っていたので、今回は遠慮することにしました。(笑)

 それからもう一つ。かつてここに易者がやってきて、土地の相というものを見た時、「この地は恐ろしい所ですね。」と言ったというのです。
危険な所と言う意味ではなく、ちょっとその辺を彫ればお墓の跡が出てくる、古い土地ですよ、との事だそうです。地元の人も驚くいにしえの里が、柿木なんですね。

 さて肝心のサイの神ですが、「2つの農機具小屋の間」に「表面の剥がれたような石」がある、という案内の通りに行きますと、確かに石塔らしき石造物はありますが、石像はありません。何度かその辺りを言ったり来たりしましたが、やはりありません。

 そこでまた近くのお宅を訪ねて、庭で洗濯物を干していた奥さんに聞いてみました。すると! その石塔がまさに歳の神であることを教えてくれました。はああ、こちらは石柱型のサイの神様だったんですね。でもなぜここだけが石塔なのでしょう。かつては上げ物もしていたそうですが、今では忘れられたようになっているそうです。お椀でも置いておけば、神様と見てくれるでしょうか…。


                   本柿木のサイの神様

 今回の探訪では、歴史の中でひっそりと置き忘れられたようになっているサイの神様を三つも見つけてしまいました。思わぬ収穫があるのも、古道探索のおもしろさです。田植えの時期になって辺りが華やいだら、またこの里を訪ねてみることにしましょう。
                                             
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