葉

雪の十郎左ェ門を彷徨う〜後編
記録 2008年2月10日   
 
道、喪失
 私の前に立ちはだかる“白い仁王”は、私から道を取り上げてしまった。「行けるものなら、行ってみよ。」そう無言のうちに試練をもたらしているように思えた。着雪はますます厚みを増した。


                 雪は木々を白く染めていた 

 既に尾根筋は姿を消した。もちろん踏み跡などない。あるのは、雪・雪・雪・・・、そして白と黒のコントラストを見せる十郎の山肌である。一体私はどこを登ればよいのだろう。


             この山肌のどこを登ればよいんだー!

生きている木の枝や根を掴み(枯れ木を掴んでしまったら、木もろとも私は落下してしまう)、雪壁を這い上がる。何度も何度も…。

目の前の穴ぼこに、こんな氷柱が幾本も下がっている。まるで私をあざ笑う仁王さまの歯のように。


              太いのは長さが40cmぐらいあります

(ここはどこだ〜、どのくらいまで登ったんだ〜)などと心の中で叫びながらひたすらよじ登っていると、雪氷の山肌にこんなワイヤーの束が絡みついていた。


                   ワイヤー? かなり太いゾ 

径が10mmぐらいある、太いワイヤーだ。山肌にへばりついているため、離れて撮影することができない。伐採した木を運搬するための索道用ワイヤーかと思う。この辺りは雑木林なので、炭焼き用の木を運び出したのだろう。

ということは、このワイヤーが私を頂上までの道しるべになるのか?と期待したが、ワイヤーはここにのみ固まって残っているだけだった。

さらに這い上がる
 ワイヤーの放置された急斜面(ほとんど崖)を這い上がると、傾斜が緩やかになった。


       何だか尾根が見える でも…その先はどうなっているのか

そのうち、一度見た景色が目に入った。あれは一昨年初めて十郎に登った時のルート、北尾根ではないだろうか。 私はずいぶん東に回り込んでしまったようだ。明らかに尾根が本来のルートと違っている。


                何だか一度見たような景色だ〜

するとこんな道のような跡が現れた。いや、雪がなければ明らかに踏み跡として露出するのだろう。これには心強さを感じた。


              道が現れた! これは嬉しい!

一難去って、また一難
 しかし喜んだのもつかの間、また私の前に、こんな雪の壁が立ちはだかった。今度の壁は、先ほどのよりもっと高く、厚く、白い。


もう嫌ダーーー・・・!



             いったいいくつこんな壁があるというのーっ?!(泣)

 この時、私はある状態に落ちていた。名付けるなら、ランナーズハイならぬ、クライマーズハイである。心の中で繰り返していたのである。この言葉を・・・。

楽しめ、楽しむんだ、この状況を、この岩壁を、この雪の十郎を・・・!

いくつもの“仁王岩”
 この雪の壁をよじ登ると、目の前に、深く切れ込んだV字形の涸れ沢があった。小さな切れ込みなので、行けそうだ。

しかしよく見よ! 人が一人歩けるほどの幅はあるが、そこは雪の道。路盤の状態は分からない。おまけに左は深く落ち込んでいる谷の空間、右はそそり立つような大岩。掴むべき木々の幹も根もない。

行けない、ここは行けない。三点確保ができないのだ。ここまで私を突き動かしてきた“野生”の部分が、今度は私を引き留める方に働いた。私は自分の中に眠っていた本能の存在に畏怖し、震撼した。

さすがの無謀な私も、ルートを変えるしかなかった。


         左下は深い谷  すぐ向こう側にあるルートまでがとても遠い

細心の注意を払いながら5mほど下降し、右手に回り込んだ。やはり降りる方が格段に難しい。


         日の当たっている方はかなり明るいのに目の前は雪の壁

 これがいくつめの“仁王岩”だろうか。その下を右側に回り込んでみたが、こちらも見上げるような壁。その上の状態は分からない。しかしV字の小さな切れ込みに木々が豊かに生えているので、何とか行けそうだ。

 でももうここをよじ登ったら、戻れないな、そう思った。斜度はもちろん90度はないが、70度ぐらいはあるのではないだろうか。よじ登るのはできても、下降するのは倍ほども難しくなるものなのだ。私が今選択した道は、もどることのできない、まさに「行きはよいよい、帰りは恐い」の道であった。


     今度はここを這い上がるのだ  しかし一体いつまでこの作業が続くのだろう

濡れ鼠
 枝々に積もった雪は、私が幹に手をかけるたびに容赦なく落下し、私の体を濡らす。すでにジャケットはびしょ濡れだ。首から提げたデジカメも雪の洗礼を受けている。



               デジキスX、受難!

(写真)首に下げていれば雪が降りかかるし、ジャケットの胸の中にしまい込めば体温で蒸れる、という訳で、撮影環境としてはよくない(ザックに入れておいて、撮影の時だけ取り出せばよかったのね)。


          「思い出の場面」の画像ではない レンズが曇っているのだ

思わぬところで雪中耐用試験をする羽目になったデジキスXは災難であろう。 この辺りの写真は、レンズフィルターの中まで曇ってしまい、きちんと写らない。ご容赦ねがいたい。

そうこうするうち、右手遠くに、ある山が見えた。 富士山である。 正面右に十郎の肩。そして右遠方に富士山・・・。 となると、今私がいるのは、ここ十郎左ェ門のエキスパートである諸先輩がこう言って恐れているあのルートではないだろうか。


            ゆ、雪を纏った富士山が見えている〜


それは、

十郎佐ェ門、


魔の東尾根“二段這い上がりの壁”!


私は恐ろしいことに、その難所に迷い込んでいたのだ。

\(〇_o)/コワイヨー、ガクガクブルブル・・・。


そうは言っても、まだ来たことがないルートなので、確証はない。今はとにかくここをよじ登って、尾根に出たい。その一心だった。

新雪に足掛かりを確かめ、枯れ木でない生きた木に手の確保を求め、全身を使って登っていく。一歩一歩、慎重に。

そうして白い壁を登ると、目の前に水平な線が現れた。尾根に出たようだ。 どこの尾根筋だろう。


        これはどこの尾根だ〜、正しい尾根道はどこに?!と思って… 

おお、雪の尾根だ。と、登りきる前に写真を一枚。


                雪の斜面にへばりついて撮影

とりあえず写真を撮ってから、よっこらしょと這い上がって、辺りを見た。


あ、

    え? 

        わおっ!?

頂上へはあとどのくらいの距離があるのだろう、と思って尾根に立って辺りの様子を見てみると、すぐ傍らに見覚えのある木が天を仰いでいる。

こ、これは、見たことのある木。 何と、ここは十郎左ェ門の頂上直下にある“テラス”ではないか!?


      何と〜、いきなり“ここ”へ来てしまったーっ!(この木の左下から登ってきた)

ひえーーーーーっ! ここに出てしまったんだ〜〜〜っ!

私は本当に雪の中の“二段這い上がりの壁”を登ってきてしまったんだ。何も知らずに…。 到着時刻は、午前8時55分だった。


              “テラス”からの一枚

山頂にて
 林道から離れて2時間近く歩いたことになる。 “テラス”からの風景に、やはり雪は乏しかった。遠く見える天城連山は雪の衣を着ていない。

 ここでデジキスXが「バッテリーを交換してください」の表示を出した。今日はスペアを2つもっているので、大丈夫。と思ったら、1つは未充電だった。またまた失態だ。 (帰宅してから気がついたが、カメラから取り外したデジキスXのバッテリーを十郎の“テラス”に落としてきてしまったらしい。次に行かれた方がもし拾われたら、お知らせください。すみません。)

 せっかくだから、“テラス”から山頂へ行ってみた。


           この向こうに山頂の山名板と三角点があるはず

山名板には本当はこのように着雪していた。この雪を手で払ったのは私です。直後に行かれた皆様、申し訳ありません。


             山名板の文字が雪で隠れている

同じく、三角点半ばも雪で埋もれていた。


          三角点の石標はすっかり雪に埋もれていた

 さて、山頂では10分間も過ごしただろうか。仁科の方から人の声が聞こえたような気がしたので(ホントは鳥の声だった)、3度、「ヤッホーーーー!」と大声で呼びかけてみたが、帰ってきたのはこだまだけだった。


           “テラス”の方の山名板には着雪がなかった

 雪に濡れたからだが冷え始めてきたので、下山することにした。

 前回登ってきた南尾根は、思ったより西を向いていた。本当ならこちらから登ってくるはずだったのだ。ねこ山、危機一髪。


             本当ならこの尾根を登ってくるはずだった

天の声か?
 歩き始めて5分ほどした時、いきなり私を呼ぶ声がした。えっ?と思うと、その声の主は、M氏とKAZU氏であった!


          わずかな時間であったが、お二人と情報交換を

 何と、私は氏達より早く出発していたのだ。 KAZU氏は、「林道に車があったので、追いつこうとしましたが、見えませんでした。」 と仰る。
私は、自分がどこで道を間違えたのか知りたかったので、そのことを氏に尋ねた。

「林道から離れて沢を渡るところに降りた足跡がなかったので、おそらく直進してしまったのだと思います。」

とKAZU氏は分析してくれた。そうか…、そうだったのか。やはり勘に頼る登山はダメダメなんだ(当然だ!の声多数にして、ねこ山、撃沈・・・)。

「お二人の足跡ログを辿りながら帰ります。」と申し上げ、お二人と別れた。 後で伺った話だが、山頂方面から全身ずぶ濡れの私が降りてくるのを見たお二人はずいぶん驚かれたとのことだ。登山技術の差が如実に現れていたのだろう。うう、恥ずかしい…。

 帰り道、雪がつもっているうちは足跡が鮮明だったが、雪が消えるとお二人の足跡も消え始めた。しかし、慎重にマッドな登山道に残った人間ログを辿り、下山した。

 沢を渡渉する辺りは、なるほど登る時には歩かなかった道だ。尾根から外れて例の朽ちかけた木橋を渡るまでに、かなりの距離があった。私の記憶は、大きな勘違いだった訳だ。


       この道は、登る時には歩かなかった… はい、ダメ〜

林道に戻ると、横浜ナンバーの車の脇にはいすとテーブルが置いてあった。でも住人の姿は見えず…。どこかで静かに冬の天城を楽しんでいるのだろう。


     こういう山の楽しみ方もあるんですね

パジェミ号に戻ったのは午前11時を回っていた。雪と汗で濡れた衣類を着替え、帰路に着いた。無事生還できた喜びを噛み締めながら…。


         こんなに狙ったルートを外していたんだナ…
                                             
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