葉

伊豆八十八霊場巡礼〜その一部だけ
同行 2008年2月24日   
 
伊豆霊場八十八ヵ所巡りに同行する〜その4/88だけ
 古道を歩いていますと(いえ、古道でなくても)、時々「秩父板東 西国四国 供養塔」などと銘の彫られた古い石塔を見ることがあります。それは主として江戸時代に、関東や四国地方のお寺巡りをしてきた人たちが、その巡礼の旅を無事に終えて帰ってこられたことに感謝して記念に立てた塔であります。それほど霊場巡りは当時の人々の願いや憧れであったのでしょう。

 しかしそうした遠くの霊場巡りに出かけられない人たちは、住んでいる地域に似たようなお寺巡りのコースを設定し、巡り歩いて祈願をしました。
 今回私が同行したのは、そうした伊豆の霊場巡りの一つ、“伊豆八十八ヵ所霊場巡り”です。長泉町在住、“登山のエキスパート”G藤さんのお誘いによって参加が実現することになりました。霊場巡りとは、どんなことをするのでしょう。初めての体験なので、ドキドキワクワクするのでありました。

出発地へ
 皆さん富士市や三島市から貸し切りバスで来られます。私は稲取で待ち合わせることにしていたので、電車で伊豆稲取へ行き、集合場所へと向かいました。

 途中、裏道を歩いている時に、こんな祭壇と石仏が目に留まりました。サイの神さまでしょう。子供の頃は時々遊びに来ていた土地ですが、特に関心がなければ、見過ごしてしまいます。改めて見つけると、新鮮な気持ちで拝見することができます。


        この通りには、亡き祖母の実家があります

集合〜
 稲取のデイサービスセンターの前に来ました。30分ほど待って、皆さんが乗るバスが到着。挨拶を済ませて準備体操をします。


     さあ〜、気合いが入ります ラジオ体操第一〜(音楽ナシ)

歩き始めて
 稲取の中心街の通りを行きます。実はこの時、私は失敗しました。一応道案内役だったのに、出遅れて後ろの方から歩いていったために、近道を外してしまったのです。そちらの近道が「東浦路」であり、みなさんに見ていただきたかったのに。ダメダメな私です。


       歩け、歩け かなりのハイペースで歩いていきます

東浦路へ
 稲取の街を抜け、志津摩へとやってきました。ここから古道に入ります。


      この日はぽかぽか陽気なので、気象条件はよかったです

 急な坂を、ふうふう言いながら登っていきます。東浦路の古道に入ってからはアップダウンがあるので、みなさん、お疲れモードに入ってしまいました。


  こんな山道なの? ひいい、疲れる・・・という声が聞こえてきました(ゴメンなさいです)

 峠を越え、稲取と河津の境にある大きなお地蔵様の前で、お地蔵様の由来について説明を申し上げました。すると、お地蔵様に古銭があげられているのを参加者のお一人が発見。なんとそれは「寛永通宝」でした。


          な、何と、寛永通宝があげられていました!

 私が去年、旧三津坂トンネル近くの峠で石塔にあげられた寛永通宝を見つけた時も驚きましたが、稲取−河津間のお地蔵様にも残っていたとは…。
 しかしこの寛永通宝は明治の初期頃まで流通していたそうなので、けっして不自然なことではないそうです。それより、よくぞこの平成の時代までここに残っていたものです。そのことの方が驚きです。

河津町見高へ
 長野を通り、見高へと下ります。国道135号線を歩道橋で渡り、浜へと向かいます。


         古道が今は歩道橋にとって代わられています

ちょっとだけ道を外れて、今井浜の砂浜を歩きました。皆さん、きれいな砂浜に目を奪われています。


            白砂青松の今井浜海岸を行きます

再び古道へ
 今井浜東急リゾートの所から、再び山道に入ります。

 ここでまたアクシデントが…。私がちょっと道に不安があったので、地元のおぢさんに峠を越える道を尋ねました。するとていねいに道を教えてくれたのはありがたかったのですが、その道が違っておりまして…。上っては下り、上っては下り…、別荘地の中を10分間、彷徨ってしまいました。これで道案内役の私は信用がた落ち! 申し訳ないです。

結局、消去法で道を探し、何とか東浦路の峠道へと入ることができました。


     ここだ〜、この道を探していたのです 知っている道なのに迷うとは…

河津浜へ
 峠道を下る途中、伊豆の助さんのご子息がおられたので、ご挨拶をしました。そしたら伊豆氏は庭で薪割りをしておられたそうで。会いたかったな。

河津桜の季節
 ちょうどこの時は河津桜が咲き誇る時期です。町は河津桜祭りで賑わい、道路は激しい渋滞が発生しています。

 伊豆急のガードをくぐって間もなくのところで、こんな建物を見つけました。


        まだ申堂というものが残っているんですね…

表に「庚申堂」と書いてあります。このようなお堂がまだ残っているんですね。講は行われているのでしょうか。

 田中のI田家にある河津桜の原木の前を通りました。たくさんの見物客がカメラを向けています。河津町では、こうして由緒のある河津桜の木を公開しています。


      田中地区にある河津桜の原木 見事な花を咲かせています

三十四番札所 三養院
 かなり歩いて、筏場の三養院へ着きました。


     やっと着いた〜 さて、お寺ではどんなことをするのでしょう

みなさん、荷物から和綴じの帳面を出しています。ここで各自がお持ちの帳面に、そのお寺の印を押してもらうのだそうです。


       「御朱印をもらうよー」と言われて支度をするご一行

 本堂に入って天井を見上げると、古い籠がぶら下がっていました。その昔、檀家さんではこの籠におしょうさんを載せてお迎えとお送りにあたったのだそうです。


  古い籠があります 大体どこのお寺にも残っているそうです

私も般若心経のプリントをいただき、皆さんと一緒に唱えました。般若しんぎょう〜・・・。


       G藤さんの声に合わせて唱和します

河津桜見物
 三養院をお暇し、お弁当をどこか河津桜の見える場所で食べようと、河津川沿いの遊歩道を歩きました。上流側の桜はまだ若く、気候が浜と違うのでしょうか、花が少ないです。


       遊歩道の一番北側は見物客が少なくてグッドです

花にはたくさんのメジロが来て、蜜を吸っています。メジロは、可愛くきれいな鳥ですねェ。


         メジロは写っていません あしからず…

 下の写真は、河津町役場のある通りの橋から撮りました。河津桜のピンクと、菜の花の黄緑色、そして青い川面と空とのコントラストがきれいに撮れる場所です。


        絵葉書のような一枚(なことないか…)

 売店の多さとそれ以上のお客さんの数に辟易しながら(って、ねこ山のそのうちの一人だよん)、河原に下りました。ようやくお弁当タイムです。私はG藤さんともうお一方と一緒に座り、興味深い山のお話を伺いながら弁当を食べました。


       河原には、缶ビールの出前もきていました(!)

 昼食の後、また遊歩道を歩いて、次のお寺に向かいました。

 それにしてもこのお客さんの数はどうでしょう。賑やかな雰囲気が好きな人にはいいでしょうね。缶ビールを片手に売店を見て歩くのもいいかもしれません(ホントは私もやってみたい)。


      先頭のG藤さんを見失わないように歩くのが大変!

三十五番札所 栖足寺
 本日二つ目のお寺、栖足寺に来ました。ここには、伝説“河童の残した瓶”があるらしいです。ここがそのお寺だったんですね。予約をすればその伝説の坪を見せてくれるそうですよ。


          「河童の瓶」はいずこに


       ここでも「はんにゃ〜しんぎょう〜」を唱えました

三十六番札所 乗安寺
 谷津の札所、乗安寺に来ました。ここは、伊豆八十八霊場のうち、唯一の日蓮宗なのだそうです。ねこ山には宗派の違いはよく分かりませんけど。


        小さなお寺です ニャンを飼っているようでした

縄地の地福院へ
 いよいよ本日最後の札所、縄地の地福院へ向かいます。河津桜祭りの喧噪を離れ、日陰になった国道135号線を歩いていきます。


       また味気ない国道を歩きます 右が谷津漁港です

 菖蒲沢から旧国道に入りました。現国道についている歩道は海側なので、国道を横断して旧道に入らなければなりません。一度に40人ほどの人たちが横断するのは大変で、ひやひやしましたした。

道端には、古い桜の切り株が点在していました。昔は桜並木があったのでしょうか。


       この道を、昔はバスが通っていたんです

三十七番札所 地福院
 地福院に着きました。ここのご住職はかつてねこ山と同業だった先輩です。久しぶりにお目にかかりましたが、お元気そうで何よりでした。


     “縄地の八寺”の一つとされる地福院

 お唱えの後で、ご住職のありがたいご講話をいただきました。お題目は「追善ご供養の意味と願い」です。分かりやすく意味の深いお話で、皆さんは真剣な表情で拝聴していました。

また、ご講話の後で、奥様がお茶とお菓子を出してくださいました。もちろんありがたく頂戴しました。ごちそうさまです。


    ありがたい御講話に聞き入るご一行

秘められた金山の伝説
 ところで、ここ縄地は金山で有名です。(詳しくは縄地金山のページを見てネ)

 慶長時代には八つもお寺があったとされるほど金山で繁栄したこの地には、しかし現在はこの地福院があるだけです。その金山の名残を伝えるかのように、お堂にはいくつかの資料が展示してありました。

下の坑道図に書かれた句をご覧ください。これは地元ではよく知られたく句なのですが、こう書いてあります。

「朝日さす 夕日輝くゆずり葉の 下に小金千倍 数千倍」

つまり、朝日と夕日に照らされる地点にあるユズリハの木の根元に、埋蔵金が埋められている、という秘密の句です。慶長時代の金山奉行、大久保石見守長安が将軍に奪われるのを嫌って隠した財宝が隠されているそうです。そしてそれは今までに見つかっていません。

掘ってみます?



今日の日はお別れ
 地福院をお暇する時、ご住職はいつまでも私たちを見送ってくださいました。ご講話といい、湯茶のご接待といい、長く歩いた後にこうしたお持てなしをいただくと、ほっとします。これなら巡礼の旅もいいな、と思うのですが、それは甘いでしょうか。

 国道の料金所跡に迎えのバスが来ました。河津駅まで一緒に、と誘われましたが、傍らの路線バスの時刻表を見ますと、まもなく下田方面へのバスが来るようです。ここで皆さんとお別れすることにしました。貴重な体験をさせてくださり、ありがとうございます。ダメな道案内役で、申し訳ありませんでした。次回もよろしくお願いします〜。


       お疲れさまでした〜 またご一緒してくださいねー

またまた失敗
 バス停脇の酒屋さんの店先に、こんな古い看板がありました。皆さんを見送った後、いい感じだな〜などと思いながら路線バスを待っていたのですが、あれ?おかしいです。時刻表を改めてよく見ると、下田行きの最終バスは15時34分が最後と書いてあります。私が待っていたバスは、隣の「下条バス停」までしか行かないようです。そ、そんな。下田駅まで行けない…。河津から下田駅に行くバスは、日に数本しかないのですね。知らなかった…。


    今でも切符を売っているのかな

こんなことならご一行のバスに乗せてもらえばよかった、と思っても後の祭り。16時42分の上り路線バスに乗って河津駅へ向かいました。


            縄地の岬を巡ってバスは走る〜

ダイヤ混乱
 ようやく河津駅に着き、何時の電車があるのかな、と思っていると、切符売り場の電光掲示板は、とっくに発車したはずの電車の時刻を表示しています。
 何でだろう、と思っていると構内放送があり、東海道線で発生した架線事故によって大幅にダイヤが乱れているということが分かりました。団体客の乗る臨時急行列車も運休になったそうで、添乗員さんが焦っていました。

伊豆急河津駅のホームは、このように河津桜見物から帰る人たちで混雑していました。


         上り列車を待つ人々 待ちくたびれていたようです

さて1か月後…
 この日から約一か月後の3月20日(木)春分の日、ご一行は再び伊豆の地に来られ、縄地を出発して柿崎までの霊場巡りをされました。

 私もご一緒したのですが、あいにくの荒天となり、白浜の海岸線は東からの強風にあおられてまともに歩けない状況でした。ツーリング中のオートバイまでもが真っ直ぐに走ることができず、立ち往生するほどでした。しかし皆さんはそれでもバスで移動することはせず、行程を歩き通しました。当日はデジカメを用意し忘れるという失態をおかしたため、ここでのアップは断念しますが、巡礼の修行はかくも厳しいものかと、考えを新たにしました。


    その日の天気図 低気圧に吸い込まれる強風が伊豆半島を直撃しました

海の様子はこんなでした。S川隊長から拝借した写真です。台風並みに荒れた“春の嵐”の天気でした。


                   隊長、写真ありがとね
                                             
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