葉       

稲生沢村を歩く〜其の一
探訪2002年12月29日   
 
 落合の浄水場前を通り過ぎ、レンタル機材会社の通り過ぎますと、志戸橋がかかっています。ここで下田街道は川の左岸と右岸に分かれ、南下します。今回は、川の右岸を行く本街道をご案内します。

伊豆横道三十三カ所 第十八番観音 満昌寺
 橋を渡った右に、伊豆横道第十八番札所である満昌寺があります。道ばたにたくさんのお地蔵様を納めたお堂がありますので、すぐに分かります。でも今このお寺には和尚様はおられません。「伊豆横道(おうどう)」というのは、伊豆各地のお寺巡りをするルートのことです。四国や秩父地方のお寺巡りを模して定められたそうです。(伊豆新聞社から詳しい書物が出版されています。)

 さて、ここには下田が輩出した名石工、小川清助さんの作った馬頭観音があります。伊豆半島南部の馬頭観音像としては珍しい、「三面六臂の像です。残念ながら素材とした石の質がもろいらしく、一部が剥落しています。この像は平成17年6月にKTV(小林テレビ)で上原仏教美術館の田島学芸員さんによって紹介されましたので、ご覧になった方も多いことでしょう。
 像としては手のかかる造作ですので、かつてこの辺りの大きな農家が愛馬を弔うために奉納したのでしょう。

松尾(まとう)のサイの神
 右に山肌が迫る右手に祠があり、幾つかのお地蔵様が並んでいます。この近くに住む元同僚に聞いたところ、「由来は分からないけれども、子どもの頃にこのお地蔵様の前に土地の人たちが集ってお団子を上げた。」
と教えてくれました。サイの神のような意味があったのでしょう。その隣に石祠のサイの神様があります。

 半年前までこの石祠はただ空き地に淋しく立っていました。立地からしてサイの神かなあと思っていましたが、県教委発行『下田街道』にはただ「(地蔵の)傍らに小さな石祠がある」と書かれているだけですので、確証はありませんでした。
 が、平成15年の歩道拡張工事が行われた際にこの祠が山際に移動され、コンクリートブロックの祠に並べられました。その時、「賽の神」と書かれた木の札がつけられましたので、間違いないでしょう。稲生沢地区にもサイの神様がおられたんですね。やっと見つけた、という感じです。石祠は、屋根が高いのが特徴です。全体の高さは60cmほどもありましょう。


             お地蔵様とサイの神様

お稲荷さん
 この辺りは、何となく江戸時代の風景が偲ばれるところです。画像右に見える小さな祠は、お稲荷さんだそうです。その中央上に見える赤い鳥居も、お稲荷さんだそうです。以前ここで野良仕事をしているご婦人に由来を尋ねた時に教えていただきました。右のは分家で祀ったお稲荷さんで、上のそれは本家で祀っているというお話しでした。お稲荷さんは、農作業の神様と言われています。お稲荷様によく置かれているこんこん様(狐の置物)は、木の精が化身として表れた姿だそうです。


    そこはかとなく江戸時代の風景が偲ばれる辺りです
    
 下田街道は、ここで現国道と違って緩やかに山の辺に入り、丘の向こう側に下りたそうです。
 そこの、この辺から街道は高いところを行ったのかな…、と思うところ辺りに、二つの石塔が建っています。

巡拝塔
 明治時代に、この地の山下さんという方が西国・四国・秩父・板東の観音様巡りを行ったことを記念して立てたそうです。高さは165cmほど。保存は良好です。


      路傍に置かれた巡拝塔 知らない人が見ればお墓ですね

馬頭観音
 この巡拝党の近くに、馬頭観音の石塔が立っているそうです。『下田街道』にそう書いてあります。でも道から見えないので、私はまだ見たことがありません。塔身表面に馬の姿が線彫りしてあるそうです。今度探してこようっと。

六地蔵
 既に山の手の街道は消えていますので、国道を行くことにしましょう。松尾(まとう)のカーブを大きく右に曲がったところにバス停「松尾」があり、そばに六地蔵が立っています。

 そばにはお堂らしき建物が建っています。かつてここには「重願寺」というお寺があったそうです。六地蔵もお堂も、その名残です。
 ここでクイズを一つ。画像の六地蔵をよく見てください。どこか変ではありませんか? お気づきの方はぜひメールください。ただし、向かって一番左のお地蔵様は一つ高いところにおわせますので、別のお地蔵様です。問題には含まれません。右に6つのお地蔵様を見てください。
 正解者にはプレゼント進呈! なーんて、実は私もぼんやり見るだけでしたので気がつかなかったのですが、宇土金の仏教美術館の展示にこの答えに相当する記述がありました。まあ、よく見れば分かるはずです。ちなみに画像は一切加工してありません。むふふ…。


       重願寺跡の六地蔵 どこが変でしょうか? 古道クイズに応募してね

お天幕さん
 六地蔵様の後ろ辺りに、丘に登る小径があります。そこを登っていきますと、右に赤い鳥居が立っており、奥に幾つかの神様(馬頭観音や石祠)を祀ってあります。

 先日おじゃました時にはそこの管理をしておられるお宅のご婦人が畑仕事をしていたので、お話を伺いました。奥様は鍬を持つ手を休め、ていねいに教えてくださいました。感謝!
 そのお話しによりますと、ここは「お天幕さん(おてんばくさん)」と言い、この下にあった田んぼの寸法を測った縄が納められているそうです。毎年十月十日にお祭りをしているそうです。そして稲生沢地区にはここを含めて三つのお天幕さんがあるそうです。

 その一つは、蓮台寺の「天白駒神社」で、そちらは女の神様であり、安産の神様としてあがめられているそうです。そちらは三月三日にお祭りをするそうです。もう一つは、中村の田中さんのお宅にある、ということでした。いいお話を聞きました。ありがたいことです。丁重にお礼を申し上げてお天幕さんを後にしました。そうそう、「詳しいことを知るには、下田市史編纂室のSs木先生を訪ねていくといいですよ。」と教えてくれました。Ss木先生お会いする機会はありますので、今度伺ってみることにしましょう。先生は田村正和似のかっこいい方ですよー。


             お天幕さんと境内の石造物

巡拝塔
 六地蔵の前で国道から外れる脇道があります。ここが現国道の旧道です。そちらを200mほど行きますと、国道に合流します。その合流点の山側に、大きな石塔が建っています。これも巡拝塔です。

 表には「西国四国 秩父板東 奉納大乗妙典経」、側面には「天保八年(1837)」などの銘があります。この地の土屋さんという方が巡礼の旅をして、無事に帰ってきたことを記念して立てたそうです。傍らには、小さな石祠とお地蔵様が並んでいます。


                巡拝塔とお地蔵様
 
お吉が淵
 下田の観光面で有名になっていますお吉が淵です。お吉さんがここに身を投げた頃、辺りは草の茂る淵だったようです。下に載せた白黒の画像は戦前の絵はがきですが、ずいぶん水面が高いです。昔から稲生沢村は水害に苦しんできた、というのも頷けます。2枚に写真に見るお堂の様子は似ていますが、やはり建て替えられていますね。石造物の位置相関はなるべく元のままを再現してあるようです。お吉さんの生涯につきましては他の方の方が詳しいのでそちらに譲ります。ここでは石造物を見てくださいね。

         現在のお吉が淵のお堂   右は、戦前のお吉が淵のお堂  水面が近いですね 水害にあう訳です

お吉が淵の石造物群
 お吉さんを祀るお堂の前には、幾つかの石造物が奉納されています。有名なお吉地蔵のほか、巡拝塔や馬頭観音、大日如来などです。お吉地蔵が立てられたのは、昭和八年ですので、きっとその際に近くに点在していたものをここに集めたのでしょう。

 下田街道はバイパスから分岐して、山裾を南に進みます。しばらく行きますと、高根山の菩提寺「向陽院」があります。

向陽院
 テレビアニメでやっていた「一休さん」のような小坊主さんの看板が、こちらだよ、と境内を指さしています。
 ここは高根地蔵様の菩提寺。境内には、地蔵堂や巡拝塔、蓮台寺鉱山供養塔などが並んでいます。また、本道の前には地蔵堂があり、小さなお地蔵様が百体ほど納められています。地蔵堂について大和尚さんの奥方にお話を伺ったところによりますと、「高根山に詣でた人は山頂までお地蔵様を持って登り、山頂お堂にそれを納めて来るんだけど、年をとって登っていけない人はここのお堂に地蔵さんを納めるんですよ。」とのことでした。ついでに、その奥方はネコ好きなので、何匹ものおネコ様がときどき境内で昼寝をしています。でも見知らぬ参拝客には近寄ってこないのが残念…。

 ここの山門から旧国道を横切って東に細い路地が伸びています。そここそが高根山への参道につながる古道です。かつてはその向こうに橋が架かり、稲生沢川を渡って高根山に向かう道につながっていました。川向こうの岸から、道程を示す最初の丁石が立っています。今は行く手をバイパスに遮られ、単なる路地となっています。


                向陽院の山門 

中ノ瀬
 街道は、千人風呂で有名な金谷旅館の前を通り、立野橋を渡って中ノ瀬の集落に入っていきます。かつてはここまで川船が入り、稲梓から運ばれてきた炭や米などを積んで町へ運んでいたそうです。今では信じられないことですが、辺りには呉服屋や銀行などもあったそうです。いわば商業地の中心地だった訳です。今でもその名残として、古い趣のあるなまこ壁の建物や倉が残っています。


    中ノ瀬の風景 かつてここには商店や銀行が建ち並んでいたそうです

餅を食べないお正月
 この中の瀬のある立野地区には、言い伝えがあります。それは、お正月にはお餅を食べない、と言う風習です。

 それはかつてこの地の氏神様が元旦の朝にお雑煮を召し上がりながら、その餅が喉につかえて亡くなってしまったことに由来するそうです。そのできごと以来、この村の人々は、お正月の餅を食べないことになったそうです。そしてもしこの禁を破ると、必ず火ごとに祟るといわれているそうです。

 その一例として、ここの駐在所にいた巡査の身に降りかかったできごとがあります。その巡査がこの地に赴任してきてから初めての正月に「そんなばかなことがあるものか。僕は余所の物だから構わない。」と言って、家の者が留めるのも聞かずに彼が雑煮を食べたところ、箪笥の中にしまってあった彼の着物だけが焦げて着られないようになっていたのを発見した、ということだそうです。その氏神様は、稲生沢小学校裏の「子の神神社」に祀られています。境内に端正な造りの文政年間の庚申塔(青面金剛明王塔)が立っています。(お宮にはよく子ども達と遊びに行ったものです。裏山に探検に行ったりね。)

 下田街道は、ここから本郷橋を渡り、高馬を通って下田に通じていました。長かった下田街道の旅は、そろそろ終点になります。もう一息です。踏ん張って歩きましょう。       
                                             
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