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サイの神
集落の入り口に立ち、災いが入り込むのを防いだ神様。すぐそばでどんど焼きをやることもあるそうです。   
 
須原・入谷のサイの神
 茶屋堂の石造物群を見てさらに進みますと、中村の集落に入ります。その三叉路の右脇に、中村のサイの神があります。

 高さは祭壇から50cmほど。稲梓では無くし物をしたときに庚申塔にはさみを供えるとそれが出てくる、という風習のある土地があるそうですが、この神様にも銀色のはさみが供えてありました。近くの人が何か無くし物をしたのでしょうか…。

     石室と屋根が少しずれています。                        向こうの道を行くと、お寺があります。

須原・口村のサイの神
 須原は須郷に行く三叉路を左に入り、左手に南郷の集落に下りる道まで進みます。その道を下るすぐ前にある田んぼの際に、口村のサイの神があります。
 やや大きめの石祠ですが、丸っこい窓が開いております。須原ではサイの神に人形を供える風習があるようで、この神様の中にも、古びたお内裏様が供えてありました。


相玉のサイの神(西側)
 
相玉のおふくろまんじゅうでサイの神の話をきいていますと、「すぐそこにもサイの神があるよ。土○先生の家のそばだから、今電話してやるよ。行ってみな。」と取りはからってくれました。さっそく行ってみますと、上下を田んぼに挟まれたあぜ道のつげの木の根元にひっそりとサイの神が立っていました。屋根の形が独特です。加増野のそれと酷似しています。同じ石工さんが作ったのでしょうか。

 このサイの神の前のあぜ道は、かつて下田−松崎往還そのものだったそうです。かつてはこのサイの神の前でどんど焼きをやっていたそうですが、火災の危険性があるからと、やめてしまったそうです。後日、この道の前後を歩いてみましたが、東は下田セントラルホテルに吸収され、西も個人宅の駐車場に分断されて、あまり道筋ははっきりしませんでした。しかしここには確実に古の道の痕跡があるのでした。


椎原のサイの神
 稲梓小学校の南側の市道を北湯ヶ野側に数百m進みますと、右手にこんもりと茂った椿の生け垣があります。その根元辺りに祭壇があり、椎原のサイの神があります。並んで建っているのは、常夜灯と供養塔です。供養塔には、『文化十年 當村□□』の銘があります。
椎原のサイの神

須原のサイの神
 須原の国道の直線部分から小鍋峠に向かう細い道に入ります。道標や回国塔を過ぎ、八木山の集落にもうすぐ入るかという頃に、このサイの神があります。
 祭壇の上からは高さが40cmほどあります。屋根の厚みがかなりある、独特の形をした石祠です。ここでは、飾らなくなったお雛様を置く風習があるそうです。この時は何やら割れた仏面などがありました。祠の中には、小さな仏像が入っていました。


落合のサイの神
 落合の浄水場から国道を北に100mほど行きますと、右手の道上にビニルハウスがあります。その北隣に、落合のサイの神が鎮座しています。
 
ここは私が通勤で5年間通った道だったのですが、土地の方に聞くまで、全くこの神様の存在に気がつきませんでした。まだまだ勘が磨かれていませんね。
 石祠の高さは40cmほど。石室にはきっちり蓋がはめられています。中には何が納められているのでしょうか。

北湯ヶ野のサイの神
 稲梓小学校の南側の市道を西に進み、満金への分岐を左に折れますと、坂を上ったところにお茶工場があります。その裏手の少し高いところに古い道があります。その道のさらに少し高いところに、北湯ヶ野のサイの神があります。吉川静夫氏著『伊豆のサイの神』に写真入りで紹介されていますが、その記述からは、初めはどこにあるのか分かりませんでした。でも、あちこち探し、椎原のサイの神を偶然見つけたところではっと思い、こちらも見つけました。
 こちらの石祠は、『伊豆のサイの神』にも書かれている通り、稲梓のサイの神の中では一番小さいです。隣に塔の基礎部分らしき石造物があります。もう一つ、石灯籠か何かあったのでしょうか。



横川のサイの神
 横浜市立歴史博物館を訪ねた翌日、横川の諏訪神社を訪ねました。その帰り、大きな発見があったのです。実は、手持ちの資料『伊豆のサイの神 吉川静夫著』に「屋根が少々痛んだ石祠がある」と記載されていながら、どうしても所在が分からなかった横川のサイの神を見つけたのです!(地元に住む同僚に聞いても分からなかったんだもん) 

 諏訪神社を後にし、市道を少し下って橋を渡りますと、正面の三叉路に何やら石柱みたいな石があるではありませんか。カメラを手に近づいてよく見ますと、割れてはいますが屋根らしきものものっています。どうやら石祠のようです。とりあえず画像を撮ってから車で帰る途中、あれこれ考えるうち、ピーンときました。もしかしてあの、どうしても分からなかったサイの神ではないかと。

 家に帰って資料を紐解いてみました。年月がたって周囲の様子は変わっているものの、写真や記述と照らし合わせてみたところ、間違いなく横川のサイの神と紹介されている石祠のようです。やっと心に引っかかっていたつかえが取れました。でも、傷んだ屋根というより、これでは誰も屋根だとは思いますまい。
 それにしても、ここまで荒廃したサイの神様もないでしょう。今度は近くの人に由来を聞いてみることにいたします。



横川 阿弥陀堂のサイの神
 横川の県道は山田菓子店の信号を南に入り、1kmほど上って聖門橋を渡ったところの三叉路にサイの神があります。(この三叉路を左に行く道が、小松野道です。)
 この辺りには『阿弥陀堂』という地名がついています。土地の人の話によりますと、昔この三叉路には休憩所をかねたお堂があったそうで、昭和の時代に道路工事をしたところ、五輪塔や石仏が多数出土したそうです。その半分をここに安置し、残りは大梅寺に安置したそうです。

 サイの神は、画像中央の石祠です。高さは40cmほど。石室が縦に割れていますね。冬に再訪して辺りの草が枯れた頃、向かって左の側面に「寛政五子十二月吉日」と銘があるのに気付きました。「五子」は「五年」かもしれません。
 向かって右の石柱は、大日如来であることが読みとれました。左は、丸彫単座像の小さな石仏です。他にも、舟形光背をもつお地蔵様(台座が道標になっています)、五輪塔などのパーツが並んでいます。

                                             
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