葉

天城の古峠を探す
探索2004年2月11日
 
念願の古峠探索へ
 真冬となった2月の10日の晩。いつものように掲示板を眺めていると、らいおんさんと荻乗さんがカキコしてくださり、何といきなり翌日の建国記念の日に時間の都合をつけて天城の古峠にご一緒してくださることになりました。これは願ってもない幸せ。お二人がいれば百人力です。という訳で、念願の古峠探索にレッツ ゴー!

 今回の取り付きは、旧天城隧道の脇から天城峠に登り、二本杉峠方面に向かって天城遊歩道を西進するルートです。そして古峠のあると思われる辺りから東に尾根筋を目指し、古峯の東にあるという古峠を探し当てようとする計画です。

 荻乗さん宅を午前9時40分に出発。旧天城隧道南側に車を停めて、10時に歩行開始。10時15分に天城峠着。峠は薄曇りで、ちらほらと雪が舞っています。今日は、天気予報によるとお出かけ日和とのことなのですが、どうなのでしょう。おや、尾根の高い部分はうっすらと雪化粧しています。作夜はかなり冷えたのでしょう。


      天城峠から古峠方面へ延びる天城遊歩道

 「ここからは道が平坦なので、楽ですよ。」と言う荻さんの言葉に促され、再び出発。確かに道は高低差がないのですが、何しろところどころに足を滑らせそうな部分があるので、恐いことこの上ありません。下を見ないようにして歩くのに精いっぱいです。が、そんなところを荻さんもらいおんさんもすいすい行くんだもんなぁ…。

 さて、天城峠から約30分。環境庁の立てた道標に「古峠」とあるのを見つけました。道の北側は木立を伐採してあり、他と違った様子になっています。 


  「古峠」と記された道標 この後で見つけた古峠とどうつながるのでしょう

どこが本当の古峠?
 ここでしばらく地図とにらめっこをしながら古峠以北のルートを探ったのですが、どうも山の斜面が急すぎて、ここに道が通っていたとは思いにくいのです。沢伝いに下ったのか、あるいはジグザグに道をつけて下りたのか…。下りきったところは大川端キャンプ場の近くのようですので、そちらから探索してみる必要がありますね。

 さあ、いよいよ歩道を左に外れて、稜線から峰を目指すことにしました。そこの近くに、『天城山往来雑記(佐藤陸朗氏著)』に記された古峠の礎石跡があるはずなのです。今日はそれをぜひ見たいと思って来ているのです。

 尾根、と言ってもなだらかな丘といった様相なので、適当に歩いていきます。踏み跡らしき部分もありますが、どうやら獣道のようです。が、それだけに迷いやすいとも言えます。と、ここで荻乗さんがザックから白いひもを取り出して、それを帰り道のために枝々にくくりつけてくれました。さすがは山歩きの達人。 逆に私はちょっと準備不足でした。ごめんなさい。お、猟犬の鳴き声が遠くで聞こえます。ハンターには撃たれたくないですね。


         なだらかに古峯へと続く尾根

 さて次第に山頂が近づいてきます。 例の礎石跡は、どこにあるのでしょう。すぐに見つかるのでしょうか。それとも落ち葉に埋もれてしまっているのでしょうか。

 おや、向こうに小さな石柱があります。でも材質が花崗岩なので、新しいものですね。かろうじて「郡・界」という字が読めます。県の標識のようです。残念。
 次に、ここがどうみても山頂だ、という所に、三角点を見つけました。婆娑羅山の頂上で見て以来の三角点です。おや? 南側はかなり眺望が開けているではありませんか。天城の谷や南伊豆の山々が遙か向こうまで見えます。ここはビューポイントとして整備したらハイカーに親しまれるでしょうね。もちろん山も痛むので善し悪しでもあるでしょうが…。

          「郡六界」?                   一等三角点の石標とポール
古峰に佇む
 と、ふと振り返ると、木に「古峯 941.6m」と記した板がくくりつけてあります。これを一瞬「古峠」と見誤ってしまったのですが、ここが古峯となると、古峠はここを少し下って東に進んだところにあることになります。


   古峯はよいところです。(道ができれば、です。)

 ところで、ここまでの道程には礎石はありませんでした。この峯を下れば、それはあるのでしょうか。
 
 半信半疑のまま、荻さんが先頭に立ち、鹿がつけたらしき踏み跡をたどるようにして東側に下りていきますと、一見、峠のようにくぼんだ地点がありました。が、どうやらここは古峠ではないようです。
なぜなら、低い尾根が四方から集まっていて峠らしくないこと、さらに低く落ち込んだところが向こう側にあるからです。

(それにしてもここは迷いやすい地点です。どちらを見ても似たような景色なのですから。一人で来ていたら、きっと迷っていたでしょう。太陽の位置を覚えることと方位磁針の携行が必要です。)

 と、おやおや、ここで思わぬ珍客が乱入してきました。4匹の猟犬です。が、これが鈴をつけてしっぽを振り、大変かわいいのです。獲物を追ってきたと言うより、道に迷って帰り道を探している、と言った風情でした。

彼等はそこらをうろうろした後で三々五々東へ向かいましたが、無事帰れたのでしょうか。(後日談…無事帰ったようです。ハンターも犬も、大変な仕事です。)


     こんなにかわいい犬が猟犬をできるの?

そして“その時”は訪れた 
 さてそうこうする内、あちらに一段と落ち込んだ所が見えます。おお、いかにも峠という地形をしています。

 と、ここで、ああーっ! 荻乗さんがそれらしき礎石を発見。まさに『天城山往来雑記』にある写真そのものです。明らかに人工的な造作が施され、きちんと並べられています。そして峠の南北には、明らかに峠道と分かるU字型の道の跡が見られます。やりました! 遂に古峠を見つけたのです! 


      やっと着きました 古峠に! それ行けーっ!


 これが探し求めていた礎石跡(全体でたたみ半畳強の広さ)です ばんざーい!

 この礎石に何が乗っていたのかを想像するのも楽しいです。
 さて、この古峠ですが、南北はいったいどこへつながっているのでしょう。この南北の道はどこまで歩けるのでしょう。

 今回は、「下りきるのは無理としても、行けるところまでいってみよう。」という相談の結果、とりあえず下りてみることにしました。

       河津側へ下りる道                      大川端側へ下りる道

 まず東側ですが、4〜5分下ったところでまず炭焼き小屋の跡らしき石組みを発見。でもそこからは暗い杉林となり、道も沢に吸収されて消えていることから、次回の探索で下から探そうということになりました。

 北側の道ですが、「どのように下りても天城遊歩道に出るだろうから、とにかく行ってみよう。」ということになり、昼食の後で行くことにしました。

 峠は、風の通り道でもあります。弁当タイムにして朝作って持ってきたおにぎりを頬張っていますと、体が指先から冷えてきます。荻さんが四苦八苦して入れてくれたコーヒーは、最高の味でした。ありがとうございます!

 12時30分、帰路につきました。この道はどの辺りで遊歩道とつながるのでしょう。見当がつきません。ちょっとした探検気分で下り始めました。

 U字型の道はつづら折りになっていて、やはりここが道であったことを確信しました。が、その状態で歩けたのは、最初の数十mだけ。じきに辺りはガレ場となり、倒木も多くなってきました。と、その先は深く鋭くえぐれた沢になっています。これには困りました。沢は急峻ですので、右か左に斜面を巻いて下らなければ進めません。

 そこでとりあえず左(西側)にトラバースして、歩きやすそうな所をたどって下りました。と、そこからほんの数分すると、向こうに踏み跡が見られます。(あ、道がまた現れた!)と思っていると、な、何とそれは初めに来た天城遊歩道ではありませんか?! あっれーっ、古峠は遊歩道のすぐ上にあったのかあー。 これはとんでもない大どんでん返し!  


  この小橋の直上が古峠です(沢を直に登るのは危険 上手に迂回しましょう)

 ではここ遊歩道から道はどのようにして下っていったのだろうか、という疑問については、たぶん谷をそのまま下るのは無理だろうから、緩やかに西進して下っていったのではないかという推論にたどり着きました。しかし山がだいぶ荒れてしまった現在となっては、それを検証するのは難しいでしょう。とりあえずは、今後の下からの探索に資料を求めようということになりました。

 次は宗太郎側から登るか大川端側から入るか…。おっと、その前に「桜オフ」か「ゆんたくオフ」を開かねば。      
                                             
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