葉

宝蔵院への道 その1〜築出から
探索2012年11月20日
 
名刹 富貴山宝蔵院
 今更ここで説明をするまでもなく、富貴山宝蔵院は伊豆でもっとも知られた由緒あるお寺である。
以前、松崎ばあちゃん(元同僚の、大正生まれのご母堂)が、悲しみに満ちた表情で話すのを聞いたことがある。

「昔は賑やかにお祭りが催されて賑わったお寺なのに、後で行ってみると本堂も何も無くなっていて、(こんなひどいことがあっていいものか…。)と思ったものだったよ。」



そう、大同3年(西暦808年)に空海(のちの弘法大師)によって開かれてからずっと長く広く善男善女の信仰を集めた宝蔵院(開山当時は「地蔵密院」と称した)も、昭和になって本堂が失われた時期があったのだ。その後、代わりの建物が僅かな参拝者を迎えるようになったが、かつての賑わいは現在の姿から想像することはできない。
(しかし、松崎町には、こうした古刹の姿を忘れまいと、参拝道の復古を目指している若者がいるという。私もその若者の姿を伊豆新聞紙上で拝見したことがある。残念ながら記事の切り抜きを無くしたので、いまは記憶に留めているだけであるが、いつかそうした志に満ちたお方と話してみたいものだと思う。)



さて、宝蔵院を考える視点はいくつもあるので、どこから切り込んでいけばよいか迷うのだが、とりあえず参詣道の話をしたいと思う。



 宝蔵院に至る参詣道は、「富貴野の七口」と言って、一色、白川、江奈、門野、船田、海名野などの七つの集落から開かれていたという。今では門野を経由する自動車道が作られたこともあり、それらの古道は猟期のハンターが歩くぐらいになっていると思われる。確かに国土地理院発行2万5千分の1地形図には点線で参詣道かもしれないと思われる古道が記載されている。
が、それらは七本あるわけではないので、識者や古老の話を聞いてみる必要があろう。

仁科の里から
 宝蔵院の境内に立つと、由来を記した立派な案内板がある。その中に、「仁科の寺坂から東の山を見た大師は、そこに寺を開こうと決心した。」というような記述がある。ということは、弘法大師は仁科から富貴野に入ったことになる。そこで私も仁科からの参詣道を訪ねてみようと思った。(「寺坂」がどこにあるかは、坂学会会員の私には大きな探究課題であるが、それは後の活動に譲る)

 地形図を見ると、仁科川の左岸にある海老名から尾根道に入って門野の北を通り、宝蔵院へと至る道が記してある。ここだ、この道から入ろう、と考えた。



 門野の北を通る尾根道については、山神様以北を雷音さんがすでに探索済みであり、私にGPSのログを分けてくださった(感謝!)。
 それと、貴重な資料として、私の手元には、平成10年西伊豆町教育委員会発行『古道』の小冊子がある。



この冊子に、海老名から尾根道を通って宝蔵院へ登り、一色へ下りる道を歩いた記録が、掲載されている。これら2つの資料を手がかりにすれば、きっと宝蔵院までの参詣道を歩けるに違いない。

道を探せ! でも間違えてた
 年齢を重ねると、思わぬところでミスをするものである。私はこの日、資料『古道』の該当ページを見て、海老名からの参詣道を歩こうと思った。しかしその冊子を携行しなかったため、大きな思い違いをしてしまった。海老名よりも一つ南にある「築出」の集落で車を降りてしまったのだ。そこを海老名の集落だと思い込んで…(笑)。

 海老名からの参詣道も築出からの道も、神社とお寺の脇を通って道に入る。そうして立地がそっくりなのも、私が道を間違えた理由だと思う。ホント、恥ずかしい。

 車を川沿いの空き地に止め、まずはGPSを起動。それから地元の年輩者を探して、「この辺に神社はありますか? そこから宝蔵院へ行く道があるそうなんですけど…。」宝蔵院への道を尋ねた。
4人目までは「宝蔵院? 知らないなあ。」とか「あんた、それは松崎か一色から車で行くんだよ。」などと言う人ばかりで、困ってしまった。宝蔵院や宝蔵院への道は、もう仁科の人々の記憶から消えているのだろうか。


            確かに神社はあるのだが…

 幸い5人目にして「そういえば、馬頭観音だっけ、お地蔵様の立っている所から山に入る道があるよ。こっちですよ。」と案内してくれる親切なご婦人に出会えたので、後を着いていった。


         「こっちですよ〜。」と親切に案内してくださった


            ここは右へ

うーん。これは教えてもらわないと分かりそうもない道だ。それとも勘を働かせれば分かるだろうか?


         こっちに馬頭観音があるですよ、と山へ入っていく

馬頭観音様から
 「馬頭観音というのは、馬を弔うお地蔵様でしょ? 昔、掃除をした時に、その後ろから山へと道が続いているのを覚えているよ。きっとそこから宝蔵院へ行けると思うですよ。」

そう記憶を蘇らせて先を歩くご婦人が山道に分け入ると、数尊の馬頭観音様が倒れかけて立っていた。



そして確かに踏み跡が山の尾根へと続いているようであった。



ご婦人にていねいにお礼を申し上げ、いよいよ道に踏み入ることにした。しかし、それは苦難の道へのプロローグでもあった。つづく


        「宝蔵院への道〜その2につづく 
  
                                             
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