唐沢を越えて
唐沢の信号交差点を越えると、国道135号線は大きく右に弧を描いてガソリンスタンド跡と「魚庵」の間を緩やかに下っていく。
この辻を越えて左手に入り、北に向かう農道風の道が、東浦路である。

唐沢の信号を斜めに突っ切る
右は黒根岬に降りる迂回路 東浦路は直進
周囲を畑に囲まれ、急な坂もないので、天王坂を上って疲れた足にはほっとする道である。しかし冬の灰色の空は重く、人気のない道は淋しい。時々、この先にあるマンションに行く自家用車やタクシーがいきなり走ってくるので、要注意である。
家はあるが、人の気配はほとんどない
安房見の沢(あわいのさわ)
文政七年(1824年)三月二十六日に下田を出立して東浦路を旅した浦賀奉行の小笠原長保は、その旅路を『更新旅日記』に著した。その著書の中で、東浦路の各所の地名を書き留めている。それらを紹介しながら歩いていくことにしよう。
畑の中に突如として現れたマンション、エンゼルリゾートがある辺りからは、海を見渡すことができる。天気がよく、空気が澄んでいれば、房総半島も望むことができる。この辺りには“あわいの沢”(安房見の沢)という名がついている。文字通り安房の国を見ることができる場所だからであろう。

一番景色のよいところに巨大マンションが建っている

天気がよければ房総半島が見える…はずである
この“あわいの沢”の由来には二つの説がある。
平成13年11月から東浦路を辿って下田−熱海間を踏破した伊東市の郷土史家加藤清志先生は、そのご著書『伊豆東浦路の下田街道』の中で「『あわいの沢』は、ことば通り稲取と白田のあわい(合い間)にある坂である」と記されている。
しかし一方、昭和62年に東伊豆町教育委員会が発行した小冊子『わがふるさと 東伊豆町(平成14年最終改訂)』では、「あわいの沢を『合の沢』とかくのは誤り…」と明記している。
沢は山と山の間に流れるのが普通であるので、景色はあまりよくないのが通例である。となると、やはりここは房総半島を遠く望むことができる、という意味の「安房見の沢」ととるのが順当だろうか。K藤先生、ごめんなさい。
金くそ坂
房総の見える辺りを過ぎ、下り坂にかかった。“あわいの沢”はこれから通るのであるが、木々が低い時代にはまだ海が見えたのであろう。
下田で「金くそ」と言えば古代製鉄所の跡に露出する鉄滓を指すが、ここ東浦路のそれは、火山灰状の土を指す。

今も急な坂であることに変わりはない

未舗装なら確かに足を滑らしてしまいそうな傾斜がある
その火山から噴き出た火山灰が露出した坂なので旅人は足を滑らせやすく、難所の一つとして数えられた坂であると伝えられている。今は道がすっかりアスファルトで舗装されているので分からないが、確かに東伊豆町では山肌を崩すとタマゴボーロぐらいの大きさのざらざらした粒状の火山灰が出てくることがある。私が通っていた熱川小学校も中学校も、山中の通学路ではよく見られた土である。
昔は、駕籠に乗った人もここだけは歩いて行かないと、籠かき人足が足を取られて籠を放り出したりひっくり返ったりするほどの難所の坂だったという。
“金くそ坂”を下りきると、治水工事が施された沢がある。これが“あわいの沢”であろう。なおも淋しい辺りである。かつてはここで「狐に化かされた」とか「ちょうちんの灯りを消された」などという話が残っていたという。
また、昔はこの沢の奥に一年中水の絶えない“滝(たる)”という渕があり、滝の主である大蛇がいるというので、薄気味悪い場所をさらに恐いものにしていたという。

これが“あわいの沢”だろう 現代の姿だ
峠のお休場(おやすば)
“あわいの沢”から東浦路は再び緩やかな上り坂になる。その先が稲取と白田の境になる“お休場”である。
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