葉

彼岸花の咲く風景を探して
探訪 2006年9月23日   
 
彼岸花の咲く季節に
 ようやく涼しくなってきた9月の23日の土曜日。そろそろ路傍では彼岸花が咲き始めているという便りが耳に入りました。

 彼岸花…。ちょっと怪しい雰囲気を持ちながらも、名童話『ごんぎつね』でお寺に行く道沿いで赤い布のように咲いていました、と記述されている、風情のある花であります。 今日は風が強く、台風14号の影響で波が高いので磯遊びはできません。あひる号も入院中ですので、ここは一つバイクで田舎道を走りながら、お蚕様を飼っていた頃の家屋を探し、彼岸花の咲く風景を見てこようではありませんか。条件は、特別な史跡を撮影する以外は必ず風景に彼岸花を取り入れた写真を撮ること。至上命令であります。

 出発は午前10時。藤沢で暮らす長女に後期の教科書代を送金したり、ヤフオクで落とした洋画のパンフの代金を振り込んだりと、野暮用を済ませてから、バイクのハンドルを北に向けました。


     最近出番が多くなったGS1100Gです

 今日のコースは、稲梓から婆娑羅を経て松崎へ。そして岩科から蛇石峠を越えて一条へ抜けようと思います。稲穂が田に黄金色の絨毯を広げる季節なので、稲刈りの様子も見られることでしょう。彼岸花はどのくらい咲いているのでしょうか。楽しみです。

 まずは相玉のセントラルホテル前にある「蓮台寺近道」の道標を訪ねました。ちょうどよく彼岸花が咲いて…いますが、ちょっと淋しいですね。


      大正年間建立 「蓮台寺近道○○」の道標

 次はおみやげにと、相玉のおふくろまんじゅうに寄ってみました。しかしお目当てのおはぎは売り切れです。きっと朝一で作った分は売れてしまったのでしょう。お店の奥ではせっせと次の分を作っているようですが、待っているわけには行かないので、買うのは諦めて、再びバイクのシートを跨ぎました。
 
北湯ヶ野から横川へ
 と見ますと、稲梓側の向こうに、彼岸花が赤い帯のように所々田んぼを彩っています。北湯ヶ野の方ですね。行ってみましょう。サイの神様の辺りが良さそうな感じです。


       これぞ田舎の風景 大好きです

 これは徳本名号塔でしたでしょうか。すぐそばの水路脇には石橋が架けられ、北湯ヶ野の小さなサイの神様がひっそりと佇んでいました。


       文化年間建立の徳本名号塔 および石造物群

     サイの神への石橋      すぐそこに北湯ヶ野のサイの神様があります

 近くの出荷場では、高校生がロックバンドの練習をしています。音は出ていませんでしたけど。 この辺は6年前まで勤めていた土地です。懐かしく思いながら走りました。
 おや、「こんがりあん」の行商車が親子連れやお年寄りを集めています。その向こうには、池代に通じていたという旧道があります。
 少し高いところに、お蚕様を飼っていた名残である換気口のある瓦屋根が見えます。

 実は松崎の「まゆの博物館」で1枚の写真パネルを見せてもらったことがあります。養蚕業を営んでいた古い家屋の写真で、実にいい景色を収めていました。しかし館長さんは「箕作の奥の達磨大師の方に残っている家屋です。」と仰るのです。箕作や宇土金には、パネルにある景色は見られないと思ったので、たぶんこの辺だろうと見当をつけていたのでした。

 そのパネルの写真を撮ったポイントは、すぐに分かりました。一つ上のお宅へ行く道から撮ったのでしょう。私も行ってみました。

 すると、おお、まさにこの地点です。瓦屋根と田んぼのある風景がとてもよく合っています。


      個人所有の建物なので、場所の特定は避けてください

 カメラを構えていると、その上のお宅から、若いご主人が声をかけてきました。

「はーい!」

「あ、失礼しました。カイコを飼っていた時代の古い家屋を探し訪ねているのですが、勝手に道に入ってすみません。」

「ああ、そうですか。」

「この下のお宅はカイコを飼っていた頃の家のようですが、そんな話を聞かれたことはありますか?」

「うーん、どうだかな、ちょっとばあさんに聞いてみるよ。」

「あ、ありがとうございます。」

「おーい、………。」

「“いんきょ”では、もう飼っていないってさ。今誰もいないけど、その隣りには人がいるから、聞いてみたらどうかね?
写真も撮ると喜ぶと思うよ。」

いきなり侵入してきた私に何の警戒心も抱かず、ご主人は答えてくれました。 特に昔の面白い話が聞けたわけではありませんが、人柄の良さが伝わってくるご主人でした。別れ際に「いい写真が撮れるといいねえ。」と言って見送ってくれました。何という…(ちょい涙)。

 再び徳本名号塔の前を通り、横川方面に進みました。高校の同級生の家の前を通り、しばらく行きますと、辻に石塔が立っています。


         あまりにコスモスがきれいなので、つい…

 やっとの思いで銘を読みますと、文政時代の秩父回国供養塔のようです。願主の名に「土屋五右衛門 同妻」とありました。夫婦で巡礼の旅をしてきた記念に建てたのでしょうか。


   このようなところに回国供養塔があろうとは…。 ここもやはり古道なんですね

加増野の古道は
 加増野に入り、馬車道を訪ねようと思いました。回国供養塔やサイの神様の辺りに彼岸花が咲いていれば、絶好の撮影ポイントになるはずです。

 ところが横川寄りの入り口がよく分からなかったので梓の里まで行き、そこから逆に辿ることにしました。自転車で行ける道なので、バイクでも行けるだろうと思ったのです。
 しかしここで問題発生。古道に入って少し進むと、何と、道が崩落しています。降りてよく見ると、歩行者か自転車ならどうにか行ける程度です。下は深く落ち込んだ川です。ここにバイクごと落ちたのではまずいことになります。 ここは引き返しましょう! 這々の体でUターンし、先へ進むことにしました。


        何と、古道が崩落しています


  こんな所での切り返しはきついよ〜 スイッチバックして何とか引き返しました

松崎町にて
 婆娑羅を越え、松崎町に入りました。
 小杉原を下り、池代入り口を過ぎて、以前から気になっていながらなかなか車を停めて見ることのできなかったところを訪ねました。
 一つ目は、中川小学校前にあるサイの神です。昔からあったのではなく、昭和の新しい時期に建てられたそうですが、忘れられていくサイの神様が少なくない中、今になって立てられるのは嬉しいことと思います。


       昭和57年建立の新しいサイの神様ですね

 2つ目は、ガソリンスタンド近くにある石柱です。かつて高橋先生が松高生を指導されながら作られた記録を拝見した時、それがこの近くにあるお寺への道標であると知りました。しかし、摩滅が甚だしく、銘を読むことはできませんでした。どこのお寺への道標なのでしょうか。


    何というお寺への道標なのでしょうか

 ユースホステルの辺りから裏道に入り、松崎高校の前を通って静岡銀行の横に出ることにしました。なかなか風情のある通りです。部活帰りの高校生が三々五々、街の方へ歩いていました。


    こ、これは?! ウルトラマンのお面をつけた少年像です 不思議な風景


      松崎にて  古くからの道のようです

 さて、朝食を5時に摂ったので、そろそろお腹が空いてきました。ここは一つ、前から行きたかったパスタ屋の「小麦亭」に行ってみることにしましょう。

昼食はパスタで
 暗い店内には女性客が2人。メニューには、何とトマトのパスタがありません。こ、これは…。
 しかたなくたらこスパを注文しましたが、うーん、専門店ならトマトソースのパスタを置いてほしいです。


      たらこスパ 800円


  旧松崎プリンスホテル手前の「小麦亭」

伊那下神社の名水
 再び車上の人となり、次は伊那下神社を訪ねました。ここには名水が湧き出しているのです。駐車場があるのに気づかなかったのでバイクで鳥居をくぐりましたが、まずかったかな? まずいでしょうね。


     礼もせずバイクで鳥居をくぐったバチ当たり者は私です

 と、参道の左に立派な吐水口があります。これが名水でしょうか。手ですくって一口すすりますと、確かに美味しい!
 でも、実はもっと奥に本当の名水が湧き出ているところがあるのでした。私が口にしたのは、手洗水だったのです。げげ。


  これが名水か? と思って飲んだら、手水でした


  こちらが本当の名水です 汲み取り口は低いところにあります

 境内には、立派な銀杏の木があり、奥には護国神社や七つの神々が祀られていました。


   街の散策の途中で立ち寄るのに良さそうです

「稲梓」の語源
 「伊那」というのは、この夏に伺った原先生の講義によりますと、船を造る職人を差すそうで、西国から海を渡って伊豆に来たそうです。その人達が婆娑羅を越えて横川などに住み着いて船を造ったそうで、そのために横川には「舟場」という屋号の家があります。稲梓の「稲」は元は「伊那(伊奈だっけか?)」、稲作をしていた土地を意味するのではなく、本来は舟を造っていたことから発した地名であるそうです。
 横川で作られた舟は、稲梓川をせき止め、水を溜めて下流に流して海まで運んだそうです。あるいは大雨の後で増水した時に運んだのだろう、というのが原先生の説であります。なるほど、地名には深い意味があるんですね。

 境内には宮司さんがおられ、参拝客に何やら説明してられるようでした。

岩科の北側と南側にて
 長八美術館の前を通り過ぎて直進。岩科に入ります。ここにある岩科小学校は今年度限りで松崎小学校に統合されるそうで、淋しいものがあります。
 ここでちょっと裏道というか旧道を走ってみました。かつてはここをバスが走ったのでしょうか。この辺りは岩科北側というところのようです。


  近くに念仏塔やお堂跡があったので、ここも古道なのでしょう

 こちらは岩科南側というところのようです。山裾の狭い通りには、子どもやお年寄りが歩いています。何やら名水が湧いているそうなので、神社の脇を上って山に入ってみましたが、彼岸花の咲く山道を登っても、ただ小川があるだけで、どこに泉があるのかは分かりませんでした。


     「寸合の泉」とあります


       ここは神明神社です。その参道から見た岩科です

 鳥居には「神明神社」とあり、拝殿の額には「国柱姫命」と書いてありました。国柱姫命って、何と読むのでしょう?


      境内は最近手入れをしていないような感じです
 
  神社の脇から泉へ行く道が延びています。頑張って行ってみましたが、結局どこが泉なのか分かりませんでした。


   泉へ行くという道にも彼岸花が咲いていました

 泉はとうとう分からなかったので、神社から降りて岩科南側(という地名なんです)を歩くことにしました。
 すると、山際から上りになる道の辻に、おばあさんとお地蔵様が休んでいるところに出会いました。

 「こんにちは。」と声をかけると、「こんにちは。」と返してくれるおばあさん。お地蔵様の由来について尋ねると、「一つは馬頭観音と言うことだねえ。」と教えてくれました。

写真を撮らせてほしいことを伝えると、「いやだよう、あはは。」と照れています。

 それにしてもおばあさん、というよりかのご婦人は、話し方が大変柔らかく、声にも張りとツヤがあります。かつては村の才媛として名を馳せたのではないでしょうか。


 左のお地蔵様のつくばいに「諸国巡礼」とありました。右のお地蔵様の銘は摩滅して判読不能です


  「下田から来なさったのかい。写真はいやだよ、あはは。」 ツーショット撮りたかったですね

 再び走り出したバイクから見る岩科川には、カルガモ?の親子が泳いでいました。



いよいよ八木山から蛇石峠へ
 さていよいよ八木山の集落から蛇石を目指します。
 八木山は以前からこの地を訪ねるたびに関心を引く集落でした。旧道に沿って並ぶ甍の波、ひなびた商店、狭い土地も開墾して田畑にする人々の営みなどが、旅愁を呼ぶのです。

 ここでは2軒、養蚕農家に特有の屋根を有する家屋を見ました。以前はもっとたくさんあったことでしょう。家の数の割に田畑が少ないのです。もっとも、もっと下の方に田んぼを有しているのかも知れませんが。


    見事ななまこ壁と換気屋根です 立派です


     でも換気口は塞いでありますね 均等に並んだ瓦が美しくさえあります

 やがてバス停「峰」があります。土曜日だというのにカーテンを閉めた商店がちょっともの悲しいです。


  バス停「峰」  何かありそうなバス停の名です

 ここから下を望みますと、そちらの方がかつてのメインストリートであったのだろうと思わせる家並みが続いています。そしてそこにも見事な古い民家がありました。


                 見事で美しい造形であります


  誰も歩いていない、と言うのが何とも惜しいです。写真に人物は必要なのに

 八木山の手前で、こんな風に咲いている彼岸花がありました。向こうに見えるのは墓地です。彼岸花がよく似合いますね。



  元は商店だったのでしょうか。小さなポストがよく似合う家がありました。



 と、ここにも元養蚕農家の家が…。





 さあ、民家が途切れ、蛇石峠への上りを急ぐだけとなりました。通行量はそれなりにあります。気をつけて行きましょう。



       県道121号線です


  峠のこちらも向こうもこんなに曲がりくねった道ばかりです

 蛇石峠への道は、狭く、曲がりくねっています。右に左に思い車体を切り返しながら、アクセルワークを駆使して上っていきます。峠を下ったところで下から上がってくる一台のバイクと遭遇。ぺこりと会釈をしたら、先方も返してくれました。

南伊豆町へ
 蛇石の集落は、ひっそりとしていました。立ち寄ったお寺は、本堂が傾いており、倒れるのは時間の問題と思われました。檀家さん達は直さないのでしょうか。それとももう廃寺なのかな。


     か、かしいでる…。大丈夫なのでしょうか?




  水を飲む蛇の頭が分かりますか?

 さて、ここはいわゆる「花と陶芸の道」です。春は田植えの早乙女たちの姿が新緑に活動し、バラ園やハス園の花々が色を添えます。陶器を愛でながらコーヒーをいただける店もあります。

 かつてはこの川合野の地では数軒の農家がいちご狩り園を開いていましたが、今は転業してしまいました。小さかった娘達と来たのはもう思い出になってしまいました。

 途中、前からみかん色の路線バスが来たので、狭い部分の前で停まり、やり過ごしました。
 すれ違いざまに運転士さんが手をあげて挨拶してくれます。私はヘルメットを被ったまま会釈を返します。

 狭隘道路が多いこの辺りは徐々に拡張工事が施されていますが、道が広くなれば車のスピードが上がり、逆に擦れ違う車を運転する人達のこうした小さな気遣いや交流は少なくなります。のんびりした南伊豆の田舎道は、やはりのんびり運転していくのがいいのではないかなぁ、と思う一こまでした。

花と陶芸の道
 ここは「風や」というお店です。周辺の陶芸家の作品を展示販売しながら、コーヒーや紅茶を飲むことができます。


   「風や」さんは、ここに越してきて10年だそうです

 お店のテーブルには、「すぐに戻りますので、しばらくお待ちください。」という置き手紙があります。でもお店の人は物音を聞いたのか、すぐに奥から出てきました。



 コーヒー350円也(安い!)をいただきながらお店の方と少し話をしたのですが、上の娘さんが蓮台寺の高校の1年生で(うちの娘は3年生だわ)、運動部に入っているために、毎朝自家用車で送っていくそうです。それが大変なので、参観日などの行事には参加しないそうで…。もったいない話であります。うちのnatsumiちゃんは「参観日なんて、来ないでよ!」だもんなぁ。あと半年で卒業なので、もう参観日はないよなぁ。あとは卒業式か、とほほ…。


 
 お話をコーヒーでいい雰囲気になりましたので、お店を後にして、帰り道を考えました。このまま帰ったのではもったいないですよね。ちょうど近くに青野ダムができているし、そちら方面は一度も来たことがないので、南上小学校の脇を左折して、青野ダムを目指すことにしました。彼岸花も咲いていることでしょう。

青野へ
 青野ダムへは、迷わずに行くことができました。案内標識がいくつか立っているからです。流れ込む水流は細いようですが、どうしてなかなか、かなりの水が溜まっていました。バイクなので、ポールの間をすり抜けて、ダムの上を通って1周することができました。ちょうど軽自動車に乗ったお姉さんが来ていて、やはり見学をしているようでした。


   水をせき止めている堤の上です


      現在の水量は、この通り

 ダムの上にもさらに奥に続く道がありましたが、どうも様子からして、私のバイクでは無理そうです。これはもうらいおんさんの守備範囲です。どうも感じからして、さっき通ってきた蛇石峠への道につながっているようです。この点は後でらいおんさんに伺うことにして、私は引き返すことにしました。

 と、ここまで来たら、かつて歩いた馬夫石への取り付き道路の終点を目指そうではありませんか。地図は持ってきていませんが、確かこの辺りでしょう。ダムから少し戻って左折し、どんどん標高を上げていきます。途中で東大の演習林というのがありましたので、岩樟園も近いと確信しました。

奥山鉱山の残映
 その東大の演習林(正しい名称は少し違っていて、ちゃんと別にあります)の前を過ぎ、バイクでどんどん上がっていきます。道はコンクリートが切れ、未舗装となりました。轍の片方を慎重に辿りながら、転ばないようにローとセカンドギアで上がっていきます。これはもうオンロードバイク、しかも300kg近い躯体で来る道ではありません。それでもだましだまし上っていきました。


  こんな道をひたすら上ります ひいいっ!

 と、目の前が少し開け、2つの常夜灯が立っているのが見えました。これは…?


      おやおや? これは…

 これは名写真集『伊豆』に掲載されている「奥山鉱山の常夜灯」ではないでしょうか。車を降り、近づいて銘を見ると、まさしくそれでした。こんな所にあったんですね。大収穫です。


      力強さを感じさせる常夜灯です

 この後、さらに奥に入ってみましたが、間もなく林道は終点となり、途中で右に入る道は工事中で、作業をする人がいました。
 石灯籠には「山神社」と刻まれているので、ここに山神社があるのでしょう。ちょっと見ても分からないので、再訪して調べてみたいものです。

 さて、引き返す道中のこと。演習林の建物を過ぎて舗装が戻った三叉路まで来ますと、分かれ道に石柱が立っているのに気づきました。来る時に気がつかなかったのは迂闊でした。ちょっと石造物レーダーが鈍っているのかも。

 バイクを降りて銘を読みますと、おお、これはKAZUさまやせわきさんが写真を撮って掲示板に貼ってくれた「右 加増野道 左 岩樟園道」の道標ではありませんか。ここにあったんですか〜。回りの夏草がすっかり刈り払われて、何だかむしろ淋しい感じがしました。


  大正13年 後の昭和天皇ご成婚記念として青年団が建てた道標

 すると、道下で木材を燃やしている二人の男性がいます。さっき上っていく時にもおられたのですが、今は雑談中のようでしたので、道上から失礼と思いながらも、話しかけてみました。


      話を聞かせてくれたお二人
  
「お話中すみません。岩樟園を探しているのですが、ここから上に行ったところにあるんですか?」

「岩樟園かい? 岩樟園というのは特にここ、というのではなくて、林だよ。」

「東大の演習林とは違うのですか?」

「ああ、東大のは、岩樟園の中にあって、岩樟園の一部を使う形であるんだよ。」

「そうなんですか。では、岩樟園の管理棟なんかの建物は無いんですね。」

「ないない。東大の事務所なんかも、今もあるのかなあ。(←あるようでしたけど) 岩樟園は、岩科の人が樟を作るで開いた林でさ、だから岩樟園っていうんだよ。」

「ええーっ、だからついた名前なんですか。なるほど。ところで今、奥の方に行ってきたんですけど、奥山鉱山の石灯籠が2本立っていました。奥山鉱山についてはご存じですか?」

「ああ、岩樟園にあるね。2本の灯籠、立っているよ。隣の階段を上っていくと、山神社があるよ。」

「本当ですか! では鉱口も残っていますか?」

「ああ、その階段を上っていくと、2つあるね。あんたがさっき下から上って来たそこの道にも1つあるよ もう塞いでであるけどね。そら、少し下って左に入ったところだよ」

「えーっ、初めて来た私にも分かるでしょうか。」

「うーん、分からないだろうな。でも、そら、そこにある空き地は、石を洗う沈殿池だったところだよ。沈殿池の名残さ。 昔は川の水が茶色く変わっていたっけよ。沈殿池から流れ出た水のせいだろうな。 そしてその向かいは、精錬所があったところだよ。

(えっ?! ということは、坑口からここまでトロッコが動いていたということでしょうか。さっき行ってきた林道は、トロッコの軌道跡だったのでしょうか!?)

 うちの親父も鉱夫として働いていたなあ。 昔は賑やかで、映画館があったよ。店もあった。映画は無声映画だった。弁士が来て、台詞を言うんだ。」

「ええーっ、映画館まであったんですか。」

「ああ、あった。青野には、青野ダムの方の青野大師さんの近くにも鉱山があったよ。 青野には2つの鉱山があったということだな。あんたは、鉱山を訪ねて歩いているのかい?」

「はい。鉱山跡やらお地蔵様やらを探して歩いています。」

「そうかい。 奥山鉱山は、大正3年から11年まで開いていたな。それから戦争が終わってからまた少し再開したよ。 ほら、あんたの横に、道しるべがあるよ。そんなのも見てみなよ。」

「ああ、これですね。ありがとうございます。」

「奥山鉱山はもうないけど、跡地の管理をしているのは、そら、その下に住んでいる人だよ。
 おい、何て言ったかなあ、(「うじしたさんだろう。」←となりの人の声) ああ、そうだ、うじしたさんだ。」

「私なんかよりずっと若い人だから、奥山鉱山がどんな様子だったかなんかは知らないと思うけど、親から聞いて知っていることもあるんじゃないかな。」

「いろいろありがとうございました。追々調べてみたいと思います。」

「そうだな。じゃ、私らも(仕事を)締めようかな。」

思いがけず2人の地元の方から話を聞くことができました。勇気はいりますが、話しかけてみるものです。


      沈殿池のあったところだそうです


    その向かい側、精錬所(選鉱場?)のあったところだそうです

 さて、道標を右にとり、上に上ってみることにしました。ここから先は、馬夫石のふもと、らいおんさんが見つけ、KAZUさまが連れていってくれた水源地、すなわち青野道の舗装路最終地点があるはずなのです。

 別荘を改造したようなガラス工房を左に見て道なりに進みます。どんどん上っていくと、あれれ? 鉄柵でガードされた最終処分場に出ました。ここ? ではないようですね。


 ゲートにはちゃんとチェーンが掛けられています

 改めてガラス工房の脇を直進。舗装林道をどんどん上り、ようやく終点へ着きました。ここがKAZUさまと来た地点でしょうか。ちょっと違うような気がしますが、上から来るのと下から来るのでは印象が違うものなので、こんなものかもしれません。それにしても青野道というのは、加増野からずいぶん距離があるものです。昔の人たちは重い荷物を背負ってここを何度も行き来したなんて、今の時代には想像もつきません。


  林道の終点 ここから加増野への古道が通じているはずです

 道標から少し下ったところの左に坑口があるというので、探してみました。もちろん分かる可能性はないのですが、山から細い水路が造ってあり、緑青のように青く染まった岩の割れ目から水がほとばしっているところがありました。あるいは坑口から湧き出た水がここに導かれているのかもしれません。


   緑青のような色を帯びた湧き水です

帰宅
 あちこち走り回って約6時間が過ぎました。走行距離は96km。疲れました。

 さてさて、彼岸花のある風景を撮る、という本来の目的はどうだったでしょう。なかなか気に入る写真を撮ることは難しいです。 「おばあちゃんと彼岸花」なんてテーマで撮りたかったな。でも飛び込みではなかなかおばあちゃんの写真、撮れないんです。 それと、せめてマクロレンズ付きのカメラがほしいです。あ、でもだからよい写真が撮れるわけではないですけど。


 お気に入りの赤いジャケットです〜 セルフタイマーでの1枚
                                             
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