葉

須原から茅原野、目金へ
探訪2002年 秋 
 
 北の沢の孫の大楠を背にして道を下りますと、やがて現国道414号線に突き当たります。傍らには「伊豆横道十三番観音法雲寺」の道標があります。

 国道に出て右折しますと、間もなくバス停「北の沢」があります。ここに、江戸時代に継立場(馬車の駅)があったそうです。今はバス停になっているところを見ますと、いつの時代も停留所の作りやすい所は変わらないんですね。

 八木山のおばあさんに聞いた話によりますと、下田方面から来た馬車が八木山で焼いた炭を積み、立野の中ノ瀬まで運んでいたそうです。そして運ばれた炭は、中ノ瀬から船で下田に運ばれていったそうです。中ノ瀬まで船が来ていたとは信じられないことですが、それにつきましては新たなページで後述いたします。

 ところで、昔も街道は今のように平地の真ん中を通っていたのでしょうか。田んぼを作るのに良さそうなところですので、道はもっと山裾を通っていたような気もしますが…。この点につきましては、もっと調べてみます。
 北の沢の直線道路の終いでそば屋「竹庵」を右に見まして(寄ってもいいですよー。むふふ…。)、北の沢川を渡りますと、バス停「坂戸口」があります。


   茅原野の継立場跡 今はバス停となっています

土屋氏の墓・宝篋印塔
 坂戸口には、「土屋氏の墓」があります。

 資料『下田街道』によりますと、武田氏の遺臣でこの地に逃れてきた土屋外記助勝長(なんて読むの?)という人の墓と伝えられているそうです。坂戸入り口を入った右手斜面の用水路の上の林の中に、いくつかの宝篋印塔があります。どれが誰の墓かは分からないそうです。武田の落人の伝説は、伊豆では結構あるようです。どこかに子孫の方もいるのでしょうね。

 ここを入りますと、下田街道から分岐して、坂戸−落合−縄地、または坂戸−落合−白浜へとつながるルートとなります。それなりに楽しいので、いつか訪ねてみてください。私のページでも一部紹介しています。
 
蛇地蔵
 道路工事によって道が広くなったところの右(西)のビニルハウスの手前に、蛇地蔵様があります。
 
 蛇地蔵といっても、何もお体に蛇が巻き付いたような恐ろしげなお地蔵様ではありません。大きな岩の脇に寄り添うように小さな二体のお地蔵様がちょこんとあるのです。その岩に上部に溝がありまして、いつも水がたまっています。その溝が蛇のように見えるので、「蛇地蔵」と呼ばれているのです。言い伝えに寄りますと、この水が干上がるとその年は凶作になるそうです。昭和30年代まで、この蛇地蔵様の周りはきれいな棚田だったようです。(古い白黒写真で見たことがあります。) その年の収穫が豊かかどうか、農作業をする人たちはこの蛇地蔵様にお祈りしたのでしょうね。それとも季節ごとの農作業が無事に終わるとそれに感謝して手を合わせたか…。そんな生活に密着したお地蔵様だったのではないでしょうか。

 この蛇地蔵様は、すぐ向かいのお宅の奥様によってお世話されているようです。赤いよだれかけをつけたりお花を添えたり…。道路の拡張工事によってなくなるのかなあと思っていましたが、僅かに道からずれていたので、そのままあります。ただし周囲の景観はずいぶん殺風景になってしまいました。下田から沼津に出かける時はたいてい車を停めてこの蛇地蔵様に手を合わせることにしています。トップページに過去の画像へのリンクがありますので、よろしければご覧ください。
(画像に写っている左の白い石は、工事の時に持ち込まれた石です。以前はありませんでした。)


    かわいらしい蛇地蔵様 岩の上部に蛇の形をした溝があります

大平山登山道入り口
 蛇地蔵様を過ぎてますと、左に牛舎が見えます。あたりは広い田園地帯。牛糞のよい香り(?)が漂い、古い時代を蘇らせます。その次の酒屋さんを過ぎますと道は左にカーブし、山肌に接します。斜め左に入る道が、大平山への登山道入り口です。

 ちょっと寄り道して200mほど入りますと、車を4〜5台ほど停められる駐車場があります。あたりは昼なお暗い森の中。なんだか気が滅入るところでもあります。それは、なぜか…。
 実は、ここはいわく付きの場所でありまして、かつて須原地区の火葬場だったのです。火葬場といっても戦前のことですから、もちろん露天焼きです。以前、古道に関する話を伺ったある人が、話してくれました。親について山仕事に行っていたというその人は、「そこを通る時は恐かったですよー。焼き場だったんだもん。」と仰っていました。今でも傍らに供養塔があり、地蔵様が立っていたらしい石室があります。まあ、そんな焼き場は各集落にあったんですけどね。誰も言わないだけです。

 清水堂の石造物群  
 大平山入り口を左に見てさらに南下しますと、左は切り立つ岩壁となります。落石防護ネットが張ってありますが、それを見ても、ここが街道の難所であったことは容易に分かります。
 
 かつて同僚が「あそこは、私らが『しみんど』と呼んでいたところで、冬になると岩壁からつららが下がるので、よく子どもらでつららを取りに遊びに行ったものだったねえ…。」としみじみと語ってくれました。もちろん今は地球温暖化の影響よって、滅多につららは下がらないようですが…。

 「きまぐれ売店」の前にいくつかの大きなお地蔵様や巡拝塔、常夜灯などがあります。
 お地蔵様はかなり背が高く、150cmほどあります。となりにはもう一つのお地蔵様と、文政八年の「奉納経 西国 四国 秩父板東供養塔」、明治十六年の「地蔵大菩薩」、そして常夜灯が並んでいます。砂防ダムの奥から湧き水を導いて汲めるようにしてありますので、ペットボトルを抱えた人がよくかがんで水を汲んでいます。
 その砂防ダムに階段がついており、斜めに上ったところに、トップページの「花筏」の株があります。探してみてください。秋と春なら葉の中央に葉か実がついていると思います。ただしすべての葉がそうなる訳ではないようです。


  清水堂(しみんど)の石仏群 ダムの向こうに花筏の株があります

清水坂(しみんざか)
 気まぐれ売店でお土産を買われましたか? ここの「わさびの茎の三杯酢漬け」は最高です。一瓶300円。大いに買う価値有りです。 ただし、季節限定ね。(笑)

 そこから南に行くこと50m。左手に林業組合の倉庫があります。その向こう、よく見ますと、竹藪に入っていく坂道があります。


          画像中央を登る道が分かりますでしょうか

 ここは、資料「下田街道」の地図に点線で記された古道です。下田街道は、もちろん今の国道をほぼ同じ道筋をたどっていますが、ここは川に迫る岩壁を迂回するため、山側に上って通過していたようです。
 その坂を登ったところに供養塔があるそうなのでいつか行ってみたいと思いますが、かなり竹藪が浸食しているようですので、二の足を踏んでいます。箕作側の下り口も分からないのです。でもがんばってこの冬に行ってきますね。
(注:2008年現在、この道は道路拡幅工事によってなくなりました)

目金(めがね)
 清水堂の「きまぐれ売店」か「林業組合の倉庫」の当たりから北の沢側の対岸を見ますと、日当たりの良さそうな傾斜地の集落に、ひときわ大きな木造モルタルの建物があり、壁に「民宿・目金ホール」と書いてあります。これが、知る人ぞ知る目金ホールです。かつてここでは映画や演劇興業が行われており、老若男女が集ってたいそう賑わったそうです。もちろん今は営業していませんが…。


       いわゆる目金地区です 日当たりよさそう

 須郷への分岐を右に見て清水坂からの下りと合流した(まだ合流点がどこか分からないのですが)下田街道は、さらに川の左岸を下り、やがて箕作の集落に至ります。路傍の民家のそばには、草葉の陰にいくつもの無縁さんがひっそりと立っています。次は、箕作神社を訪ねます。              
                                             
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