葉

婆娑羅の旧峠を行く
甑端越(こしきばごえ)の難所〜駒留めの岩の秘密に迫る
 2001年9月8日



 かつてこのページで、『婆娑羅再訪』として道の先生(知り合いの家のおじいさんです)に連れて行ってもらった時の道程を掲載しましたが、その後自分のミスによって記録が消えてしましました…。気に入っていたページだけにがっかりしていましたが、いつまでも落ち込んでいる訳にはいきません。婆娑羅の旧峠は是非みなさんに知っておいてほしい道だけに、再び訪れて記録を掲載することにしました。この峠は、行く前から色々話を聞いており、茶屋の跡や、馬の手綱をくくりつけた『駒留めの岩』などがあるという話に胸を高鳴らせたものです。ではどうぞ、またおつきあいください。

 この峠道は、下田市街から蓮台寺に入り、上藤原峠を越えて相玉に下り、婆娑羅旧峠を越えて松崎に至る、『甑端越(こしきばごえ)』と呼ばれる旧街道の一部です。
 今回も、古道への取り付きは下田カントリークラブの入り口にしました。ここは駐車禁止場所でなく、古道との交差場所にもなっているので、便利なのです。

 さあ、では画像を見ながら古道へと足を踏み入れてください。
 まずはじめに紹介するのは、道標です。『梓の里』の庭から県道に下る階段の脇に、大正12年に立てられた道標があります。表には、『青野道 距離□□』『大正十二年□□』と彫られてあります。地図によりますと下田カントリークラブの南を通って南伊豆町青野に通じる道があるようです。いつかぜひ行ってみたい道です。


          青野道を示す道標

 梓の里の南50mのところに、北に進む市道があります。ここが、馬車が通った時代の古道と言うことです。もっと古い道は、南側の山裾を通っていたそうですよ。これは、道の先生に教えていただきました。
 ところで、古道に入ってすぐの左手上に、サイの神があります。何年も顧みられていないらしく、無惨に崩れ落ちています。土地の方々で何とか直してほしいものです。


       朽ち果てたサイの神

 道なりに進んでいきますと、左手に神明神社があります。路傍には、道標があります。この神社の奥に、本社があるそうで、そこへの道を記しているのです。


       神社への道しるべです

 さらに進みましょう。右に田んぼ、左に別荘地への入り口を見て進んでいきますと、又下橋を渡ります。その先に分岐があり、猪戸鉱山への案内板が立っています。(この鉱山はすでに操業を停止しているそうです。詳しくは、別のホームページで紹介されています。廃鉱巡りに情熱を持っている人がいるんです。読んでみると興味深いですよ。)


           古道への分岐

 旧峠へはここを折れずにまっすぐ行くのですが、一旦左に折れてすぐに左手を見ますと、『桜地蔵』または『歯痛地蔵』、あるいは『聖観音』と呼ばれているお地蔵様群に出会います。

 ここには、石灯籠1つ、石祠1つ、舟形光背を持つお地蔵様が6体、由来不明の石柱が1つ立っています。
お地蔵様はほとんどが真言密教の知拳印を結んでいます。光背に刻銘が刻んでないのですが、唯一、文化四年の刻銘が刻んであるお地蔵様がありました。資料によりますと、江戸時代後期に、この洞に住む人々によって奉納された観音様だそうです。以前は歯痛を治してくれる神様として、爪楊枝をあげて祈る人が訪れていたたそうです。

              桜地蔵・虫歯の神様・聖観音などと呼ばれているようです

 そっと手を合わせて、元の道に戻ることにしましょう。9月上旬、まだあたりには蝉の声が響き渡っているのに、田んぼの稲は見事に頭を垂れ、収穫を待つばかりとなっています。実はこの分岐にも道標があったのですが、近くの人の手によって別の場所に移されています。幻の道標というわけです。

 その田んぼの際に、こんなお地蔵様がありました。優しくほほえんでいるお顔をしています。よく見ますと、台座と胴と頭が別々に作られたような感じがします。色々と事情があってこうなったのでしょうね。田の神様か道祖神か…、由来は分かりませんが、人々の暮らしをひっそりと見守っているように思います。


        田んぼの神様でしょうか

 ここはまっすぐに進み、林道に入ります。しかしこの林道は、国土地理院発行2万5千分の1の地図には、載っていないのです。立派な道が奥に延びているのに、不思議ですね。

 林道は、沢に沿って緩やかに上っていきます。この道は十年ほど前に砂防ダムを造るために整備された道だそうですが、最初に開かれた古道と次に作られた馬車道とを元にして通っているようです。途中、右手にそれらの道が分かれる場所があります。古道は沢の右岸、馬車道は左岸を通っています。どちらの道もたどることはできますが、砂防ダムによって行く手を阻まれてしまいます。でも、古道好きなら、たどってみる価値はありますよ。


        明治期に開かれた馬車道です

 さて、そうこうして歩いていくうち、車の回し場のようになった広い所に出ます。実際、砂防ダムの工事をしていた頃は、ここが車の回し場や資材置き場などになっていたのでしょう。左にはさらに奥に延びていると思われる林道が見られますが、今は行けそうもありません。 ところで道の先生の話によりますと、ここには、かつて旧峠から下ろされたお地蔵様があったそうです。そのお地蔵様は、現在、婆娑羅の旧トンネル手前の湧水地に安置されています。(いずれ紹介しますね。)


         林道の事実上の終点

 話がそれました。旧峠へは、ここをまっすぐ奥に入るのです。一方、旧峠の次に開かれたという馬車道は、ここを右に入っていくのです。ちょっと分かりにくいのですが、とにかく藪をかき分けて奥に入ってみましょう。沢の分岐に当たるところに、電信柱の根本が残っています。気がつきましたか? ここに来るまでも道ばたに同じような跡が見られたのですよ。これは、その昔、下田と松崎をつないでいた警察や役場の電話線を支えた電柱の跡だそうです。電線はとうになくなっていたものの、電柱だけは残っていたのです。それも15年ほど前に切り倒されたそうなのですが、根本が所々に残っているんです。防腐処理がなされているので、今でも腐らずに残っているんですね。立派な歴史の証人という訳です。


     下田と松崎を結んでいた電信柱の跡

 この電信柱の跡を挟んで、右が馬車道、左が旧峠への道となります。

 藪をまっすぐ突き進んでいきますと、行く手に砂防ダムが立ちはだかります。このダムを今から越えていくのですが、かなり高いので、右手のヒノキ林の中を上がって迂回しましょう。急斜面ですので、足を滑らせないようにしてください。

 ダムを越えたら、そのまま沢を進んでいきます。倒木などはありますが、古道としては歩きにくい方ではありません。


       古道の様子 荒れています

 数分間進みますと、行く手に沢の合流点があります。下から見ると、Y字型に沢が下ってきています。ここは、右の沢を進みます。踏み跡らしきものもついていますよ。蜘蛛の巣は張っていますが、下草は生えていません。

 やがて、行く先に壁のように立ちはだかる山肌が見えます。灌木で覆われており、最初に見た時は「えっ、この道でいいの?行き止まりじゃん…。」と思いますが、近づいていくと高さは感じられなくなります。木の枝をつかみながら登っていきますと、第一の石垣があります。峠の遺構です。とうとう来ましたね。石垣は、全部で6〜7段ほどあるようです。やがて向こうに空が見えて明るくなり、旧峠に着いたことを知らせてくれます。林道の終点から15分もあれば着くでしょう。案外近いものです。


         最初に現れる石組み

 さあ、では峠を探索してみましょう。ここにはいくつかの興味深い遺構があります。
 まず、石を組んで作られた石室のような所が目に留まります。炭焼き小屋の跡にも似ていますが、かなり大きいので、茶屋の一部だったのではないでしょうか。


              茶屋の跡でしょうか

その向かいには、2つの石柱が立ち、小さな室があります。ここにはかつてお地蔵様があったということです。さらにその奥には、巨岩があります。元はいくつかのお地蔵様が立っていたと言うことですが、今は跡しかありません。その岩の5mほど下に、幅約1m、奥行き80cmほどの水たまりがあります。自然石をくり抜いて作った、明らかに人工の窪みです。ここにはいつも水がたまっています。そこには泥が堆積していますが、深さは30cmほどあるようです。岩の上部から雨水を導くような溝が掘ってあります。この水を洗い物にでも使ったのでしょうか。


       明らかに人為的にできた窪みです

 次に、松崎側の出口付近へ進んでください。右に、亀の形をした不思議な石があります。平たく楕円形をした石に足らしき石がついています。頭は、加増野側の海の方を向いています。背中が少しくぼんでいますので、何かがのっていたのでしょう。まさか浦島太郎ではないでしょうが、旅の安全を守る観音様…、そんなものがのっていたのではないでしょうか。


             謎の亀石

 その向かいには、倒れた石柱があります。台座から外れ落ち、下の部分が大きく欠けています。表には、「地蔵大菩薩」と記されており、側面に「為禄證宗因冥福」「宝暦六丙子十二月□□ 施主 小杉原弥平」ときれいな字で銘が彫ってあります。宝暦は元年が1751年ですから、この地蔵大菩薩が立てられたのは実に256年前ということになります。伊豆の峠の石造物の中ではかなり古い方の部類に入ります。

 ああ、ここは、まさに時代に取り残された旧峠です。多くの旅人がここで足を休め、茶屋で一服したことでしょう。しかし、菩薩塔は倒れ、そこにあったというお地蔵様はなくなり、辺りは荒れ果てています。昔の栄華は想像するしかありません。


          宝暦六年 地蔵大菩薩

 さて、かつて馬を繋いだという『駒留めの岩』はどれでしょうか。手綱を繋いだのですから、岩にくり抜いた穴が開いているところがあるはずです。はじめは探しましたよ、これを。答えは意外なところにありました。いえ、単に自分が思い違いをしていただけなのですが…。もう勘の鋭い読者さんはお分かりになったことでしょう。答えが知りたい方は、別ページをご覧ください。こんなことがあるから、古道探索はやめられません。まさに「目から鱗が落ちる」体験です。

 さあ、峠を渡る風で体が冷えてきたので、小杉原側に下りることにしましょう。ここからの道は、あまり荒れていません。涸れ沢に沿って下り、県道まではゆっくり歩いても10分あれば着くでしょう。県道へは、トンネルの西出口のすぐ近くにでます。ここから先、古道はおそらく県道を横切り、沢に沿って下っていたと思われます。県道をずっと下っていくと、古道との合流点だったというところにお地蔵様があります。

 帰り道は、元来た道を戻りました。トンネルの脇を上がって馬車道を行ってもよいのですが、あちらは藪が茂っているので、やめました。
 途中、やはりいましたよ、蛇が。しかもマムシです。写真を撮ろうとしたら、身をキュッと縮めて動かなくなりました。このままびよーんと体を伸ばして敵に噛みつくのでしょう。うう、恐ろしい。うっかり踏みでもしたら間違いなく足首を噛まれることでしょう。夏の古道探索は恐いものです。

 林道には、もう彼岸花がすっと伸びてつぼみをつけていました。赤い布を伸ばしたような花々が田んぼの畦を彩るのももうすぐでしょう。その頃またこの地を訪れてみましょうか。桜地蔵と彼岸花…、似合うかもしれません。        
                                             
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