平成18年度の第1学期が始まってしばらくした頃のとある週末。誰もが4月のお疲れモード中なのにもかかわらず、伊豆仲間は猿山に行っているとかいう情報が。私は生来ののろま癖のため、どこにも行けないんです。とほほ…。
でも、近場でも行けばそれなりの発見があるはずです。行ってみよう〜! ということで、下田市と松崎町の境にある婆娑羅峠を歩いてみました。
現在の婆娑羅トンネルはを一気に越えていますが、旧トンネルは狭隘路線としてもよいくらいに狭いです。そちらも後ほどご案内します。
まずは現在のトンネルを松崎側にくぐり、車を置きます。

旧峠からの道は、紅い車の右手、立て看板がいくつも立っている間から下りてきて、後方へとつながっていたようです。現在、ここから小杉原までの道跡が分からない事が私の残念なところ。どうすればその道筋が分かるのか…。地元の人や識者に聞くのがいいでしょうね。今度の課題としましょう
さて、ここが旧峠への登り口であります。なあに、薮をかき分けて沢に分け入れば、すぐに分かります。
ほおら、すぐに踏み跡が分かったでしょ? 途中、右手にこんな石を切り出した跡があります。

中央に石段を切った跡があるのが興味深いです。きっとこの段々を登って石を切り出していたのでしょうね。
ここは峠に近い、標高の高い場所なので、切り出した石は、おそらくこの辺りの建築に使われたのでしょう。石橋とか道の補修とか…。それとも、小杉原や加増野の里まで運ばれたのかなぁ…。

さあ、どんどん登っていきましょう。でも辺りは木々が鬱蒼と茂っており、暗いです。淋しくなっちゃう。1人でいきなり来るのには淋しすぎるかも〜っ! しかし、ここに何を作っていたのだろうと思うような石組みもあります。畑があったのでしょうか。不思議であります。
そんなことを考えながら登ってきますと、前方に壁のように立ちはだかる峠への尾根筋が迫ってきます。辺りには不気味な様相を見せる巨岩があり、淋しさを醸し出しています。
さて、ここで困ってしまいました。踏み跡はあちこちについているのですが、肝心の旧峠に向かうメインルートが分かりません。道が雨で流されているんですね、きっと。仕方なく、こっちだろうという方角に無理矢理進んでみました。こんなことすると山肌が荒れてしまうのでいけないことなんですけど…。

たぶんここが峠です やっとたどり着きました
旧峠では、最初に小杉原の弥平さんが宝暦年間に立てた地蔵大菩薩塔が、ひっそりと私を迎えてくれました。


台座から崩れ落ちています 申し訳ない気持ちでいっぱいになります
謎の亀石は、頭をつけてもらっていっそう亀石らしくなっていました。って、どこに頭部があったのよ〜っ!?

かつて背中に乗っていたのは誰でしょう?
昔は地蔵様が祀られいたという遺構もあります。

初めてきた時はお墓の跡と聞いていたので、びびったものでした
そして、こんな跡もあります。茶屋があった跡と聞いています。お風呂もあったそうで、かなり賑わったことでしょう。

それから、ここの遺構の目玉である、「駒止めの岩」がこれです。思えば私の古道探索の原点でもあります。峠を越える馬がここで水を飲むために動かなくなったという所。手綱を留めた訳ではなかったのですね。しかしこうした遺構もいつまで構成に伝えられるのか…。せめて書物に残したいです。ネットではちょっと不安です。
その場所ですが、峠から加増野側に下りるところを少し斜め南に下るとあります。大岩から流れる雨水を集める所にあるので、まず大岩を見てください。その下に位置しています。


完全なる人為的な造作ですよね
峠を渡る風はひんやりとしていて、早く早くと次への道程を求めます。では峠を北に辿ることにしましょう。
亀石のある所から尾根を直登して北に進みます。かなりきつい登りですが、踏み跡があるので、大丈夫。でも特に道として作られた訳ではないような感じです。

左下に見えるのが亀石 石垣を越えて行きましょう
尾根を登り詰めると、道筋は左に曲がるように付いています。ここではたと地図とにらめっこしました。もちろん地図に道は付いていないのですが、なぜか尾根筋をそのまま追っていくと、行く先が急に落ち込んでいて、進めなくなるのです。
ふふふ、ここは尾根を左に追わず、真っ直ぐ北に落ち込みましょう。靴の踵のエッジを効かせて下りますが、山肌を荒らさないように注意しながらね。楽しく下れますよ。
すぐに馬車道の峠に着きました。古い電信柱を切った跡があるので、探してみてくださいね。

ここからはなぜか道と赤テープがついています。こんなテレビ電波中継塔があるからでしょうか。

ここの電波塔から東(加増野側)に下りる踏み跡が認められたのですが、どこにつながっているのでしょうか。馬車道の途中につながっているのかな?
さてさて、道は尾根筋を辿るので迷うことはないのですが、展望はよくないし、薮も刈ってないので、歩きやすくはないです。それが楽しいと言う人もいますが、長そで長ズボンは必要ですね。暖かい季節でもね。

これでも道があるんですよ
杉の木立が目立つようになると、そろそろ旧トンネル上の峠に近づきます。しかし相変わらず眺望は効かず、トンネルを出入りする車の音によって自分がトンネル上辺りにいる事を知ることができるのです。
さてさて、今回私が迷ってしまったのはこの辺り。というのは、いかにもここが峠、というような地点があるからです。それで思わず西に踏み跡を探して下りてしまったのですが、それは単なる獣道だったようで、仕方なく戻ってきました。ここは惑わされずに尾根をそのまま北へ向かいましょう。

「惑わしの峠」とでも呼びましょうか(笑)
本物の峠にはしっかりとした道がついているので、大丈夫です。左(西)側に下りて、旧トンネルの西口に出ましょう。5分も下れば、もう使われていない旧道が見えます。
旧道が見えました
左を振り向くと、堅牢な金網で封印された旧トンネルの口が見えます。

このトンネルが竣工されたのは、天城旧トンネルができた数年後だそうです。同じ石組みのトンネルですが、こちはら天城のそれと違って、ほとんど脚光をあびません。内部はこんな様子です。土砂が流入していますが、埋めてしまわれていないのはよいことだと思います。

婆娑羅隧道の内部 半ば水没しています
さて、車で現トンネルを東にくぐり、レストラン「曼陀羅」の駐車場から旧道に入ってみましょう。旧道はまだ残っていますが、湧水があるため、その全部を歩くのは難しくなっています。

「曼陀羅」から東に歩いてきて振り返ったところです
途中に「大師の水」の源があり、そこに御大師様の石像があります。

「大師の水」の由来になっているのでしょう 御大師様です(高さ40cmほど)
この御大師様は、「元はもっと下の、旧峠と馬車道の分岐点にあった。」と土地の古老から聞いたことがあります。
トンネルの東口に近づこうとしましたが、この有様なので、長靴でないと歩いて行けません。それどころか坑門すら見ることはできないのです。

「曼陀羅」の裏から行けるのはここまでです
この旧道は、県道と並行したり分断されたりしながら加増野の志保口の辺りまでその名残を見ることができます。勘のよい人は気づくことでしょう。私は…、人に言われて知りました。とほほです。
帰りは恒例の水汲みをしてからにしました。時々止まることのある「大師の水」です。でもいつも汲ませてくれてありがとう。
右に見える標識の辺りからも旧道に入れます
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