葉

婆娑羅山麓に宝篋印塔を探す
探索 2007年4月15日   
 
情報入手!
 そろそろ古道探索のシーズンは終わり、という4月。歩く不思議発見レーダーKAZU氏が画像と共にこんな書き込みをくれた。

「BS山東山麓にて宝篋印塔発見! 報本寺創建当初の地と言われる婆娑羅山寺平に現存している…」

情報の出所は、昭和37年4月30日発行の『伊豆下田 地方研究』であるらしい。その本はだいぶ前に手にしたことがあるが、当時は関心事と重なる部分が少なく、見過ごしていた。が、そんな記述があるんだな。婆娑羅山の写真も記載してある。要チェックだった。では、私も見に行ってみることにしよう。すでに道順はKAZU氏から聞いて、地図ももらってある。なあに、麓から15分程度で到着するというので、軽い軽い。その後は地蔵山でワラビ狩りだーっ(と、その時は軽く考えていた)。

出発
 取り付きはつくし分教室の脇。 公共施設なので一般向けの駐車スペースがあると思ったが、車はずっと下の県道脇に置いてきた。


       つくし学園とつくし分教室の一番奥のところ

 舗装された道を登っていくと、どん詰まりの山際に無縁さんと思われる墓石群があった。かつてここに集落があったのか?

 登山道入り口の簡易水道タンクで管理作業をしている男性がいたので、挨拶をして山に入った。道は快適に山中に私を導く。このまま登山道は山頂まで続いているのだろうか。


            初めは大変快適な道なのだ

 まもなくワサビ田を通過。さらに奥へ歩く。と、じきにKAZU氏が教えてくれた右折ポイントに出た。


           2つ目のワサビ田の左を登っていく

 しかしこれは分かりにくい! ヤマイモを掘った跡に枯れ木を指してくれてあるのでそれと判別できるが、そうでもなければ普通に直進してしまうだろう。右折する道は、ほとんどけもの道然としているからだ。

 沢を右、山肌を左に見ながら登る。一度右手に沢を渡ってしまったが、道が消えたので、再び元の道に戻った。目指す寺の跡はおよそ5百坪あるという。目的地はまだまだ先だろう。


         かろうじて残る踏み跡を探して尚も行く

 予定時間15分というのは、とっくに越えていると思った。目の前に広がったそれは、ひどく荒れた杉木立の中にあった。

 まず、石積みのケルンが目に入った。その奥、大きな岩の上に、目指す宝篋印塔のパーツが積んであった。


   やっと平坦な広いところに出た  ここか、ここなのか…!?


   やっと辿り着いた宝篋印塔 全体像はない 複数の塔のパーツが重ねられている

寺平とは
 ここは「寺平(てらだいら?)」と言うらしい。加増野にある報本寺の前身があったらしい。
また、『南伊豆めぐりある記』という、昭和53年に下田南高校定時制の先生が記した書物によると、こうある。

「婆娑羅山は、その昔弘法大師が婆娑羅三摩耶を修した霊場で、仏法有縁の知として知られ、「婆娑羅山」の名もそれから出ている。婆娑羅山の中腹の寺壇という地に堂が建てられて、高野山の末寺であったと言われる。急峻でかつ不便でもあるため、応永三(1396)年六月、僧哲叟が鎮守の森に伽藍を再建した。これが加増野の報本寺である。」

 
「寺平=寺壇」なのかは今のところ分からないので、いずれ識者か地元の古老に聞いてみることにしよう。

宝篋印塔とは
 ところで、宝篋印塔(ほうきょういんとう)とは何か。
 説明しよう。 宝篋印塔とは、直線を基調とした美しい石塔の事である。石塔の内部に「宝篋印陀羅尼教(ほうきょういんだらにきょう)」というありがたい教典を納めてあり、これを拝むことにより幸せが訪れる、と言われているらしい。
 稲生沢地区河内の重福院境内にあるそれのように大変大きくて保存の良い塔もあれば、稲梓の箕作にある「茶々丸の墓」のように、小さな苔むした塔である場合もある。また、パーツになって重ねられていることもある。いずれにしてもその土地と密接な関係のある石造物である。

 他には寺の存在を示す遺構がないのか探してみたが、わずかに石垣があるのみだった。

 さて、これからどうするか。このまま戻っても良いのだが、せっかくここまできたので、KAZU氏のくれた地図を頼りに山頂まで行ってみることはできないか…。そう考えた。それに、これは私が自力で見つけた宝篋印塔ではない。ただKAZU氏の足跡を追っただけだ。これでは物足りないではないか。何とかしてこの胸の空洞を埋めなければならない。

 寺平から沢の傍らに踏み跡がある。KAZU氏はここから(またはここへ)尾根を伝って山頂に至ったらしい。おおよそそのルートで私も行けるだろう。ダメだったら戻ればよいのだ。さあ、行こう!


          寺平から上に延びるルート ここを上がった

厳しいルート
 寺平からしばらくは踏み跡があった。白テープも木の幹に巻かれている。それに従って慎重に登る。しかしここは傾斜がきつく、尾根筋も細い。1月に登った十郎左ェ門での急峻な痩せ尾根を思わせる。しかも昨日の雨によって大変に滑りやすい。欲を出したことをちょっと後悔した。


         かなりの傾斜があり、道も消えがちである 

道が消えた!
 踏み跡を確かめながら根や枝を掴み、三点確保で慎重に登る。ぬかるむ泥に靴をとられながら、ひいひい言いながら進むも、下を見下ろすと戻るのも危険なので、とても心細くなった。本当に山頂まで行けるのか!?

 が、その地帯を抜けると、また右に沢を見て進む道が復活した。しかしやがて道は消えた。いや、道はあるのだろうが、消えてしまったのだろう。どこを見ても同じような暗い景色である。


            まやかしの森に迷い込んだような感じだ

 幸いにも天気がよいので、杉林からも太陽の位置は分かる。今は左手に太陽があるので、このまましばらく登れば、やがて尾根に出るはず。そしたら太陽に向かって歩けば、西進することになるので、山頂に着くことができるだろう。地形図もコンパスも持たず、腕時計も忘れてきている。うーん、やはりこうした初めての道で、それも途切れ途切れになっている山では、道具は必要だな。

 やがて右手にずっと見えていた尾根が目前に迫った。私の見立てに間違いがなければ、あの尾根に出ればあとは山頂に導いてくれるはずだ! 

ルート発見!
 速まる我が疲れた足。 やっと尾根に出た。と、おお、狙った通り、道がある! 


        婆娑羅−鷹峰歩道を繋ぐ尾根道か

もしかしてこれは鷹峰歩道へ通じる尾根道なのか。だとしたら、ここは再び訪れることになるはずだ。何年後になるかは分からないが…。

ついに到着!
 道はいいように正午近くの太陽に向かって伸びている。何かに引っぱられるようにしてずんずん進む。赤テープも見える。
  着いた! 山頂だ。 ああ、大変だった。


            山名板は落書き板じゃないぞ〜!

 今日は風が強い。早々に下ることにしよう。
 山頂に向かって西から吹く風が木立を揺らして不気味な音を立てている。山全体が揺れているようだ。
 この山に登ったのはもう5年前になるだろうか。トンネルに下りる登山道は尾根についていたはずだが、やや不安があった。しかし踏み跡を辿りながら20分ほど下ると、いきなりトンネル上の峠に着いた。今日はここを加増野側に降りる。ここもまた初めて通る道だ。


          トンネル上の峠  加増野tと小杉原の分水嶺でもある

途中、道を外したが、やがてトンネルの切り通しを左見下ろすようになり、旧道と合流した。


            曼陀羅の建物が見えた 下山したのだ

 帰りは車を置いたあるところまで県道を歩いた。が、そばをびゅーんと車が追い越していくので、恐いの何の。車が側溝に落ちて50mほど滑走した跡などもあり、足早に下った。


         正面が婆娑羅山 向かって右から登って左へ下りた

地蔵山へ
 さあ、今日の目的はもう一つある。地蔵山に登って、ワラビを採るのだ。
 車に乗って平沢洞に入る。行き止まりまで行って車を停め、入山。私をワラビが待っている。行くぞ〜。


         平沢洞の地蔵山入り口  新しい地蔵様が祀られている

疲れた体
 と思ったものの、さすがにたった今婆娑羅山に登ってきた体に再び登山はきつい。体力が相当落ちているし、体重も増加する一方なので、それは当然だ。もっと気をつけないとなー。 途中、余りに疲れていたので、2度、寝転がって休憩。新緑を通してみる青い空がまぶしかった。でも生き返る気分だ。こんな気持ちになったこと、最近なかったな…。

1週間遅かった… 
 さてようやく地蔵山に到着。石の祠に納められた地蔵様も健在だ。初めに合掌してから、ワラビ探しをした。
 しかし、何と言うこと! 季節としては1週間遅い感じだ。ほとんどのワラビがすっくと空に向かって伸びて、3又の茎を分けている。


  戦時中は空襲敵機の監視塔があったという地蔵山山頂  向こうは大平山だ

 しかたがないので、伸びたワラビの先だけ摘んだり、日当たりの悪い方の斜面で遅く出たのを探して、ようやく片手でつかめるくらいの量を採った。が、ここまで登ってくる労力を考えたら、とてもつり合わない。来年は来るのやめよう…。


         地蔵山から北を望む 天城連山が見える

再会
 前回この地蔵山に来た時は麓からチビ犬のチッチちゃんが着いてきて、一緒に山頂まで来たのだった。ちょうど1年前のことになろうか。
 今日は、その時撮った写真を持ってきている。チビ犬のいる家はだいたい分かっているので、届けてこようかと思っていたのだ。

 すると、だいぶ下った竹藪まで来た時、下からかごを背負ったご婦人が上がってくるのが見えた。急にすれ違ったのでは驚かせてしまうので、早めにこちらから声をかけた。と、そのご婦人は、チビ犬の飼い主さんではないか。何という奇遇!

 昨年ここで出会ったことを話し、さっそく写真を手渡した。ご婦人は「そうですよ、この犬です。今は庭を金網で囲って、遊べるようにしてありますよ。」と言って写真を前掛けにしまうと、「ちょっと待っててくださいよ。今タケノコを掘りますからね。」と言い、鍬を片手に竹藪へ入っていった。そして大小2つのタケノコを掘り、私に持たせてくれるのだった。ああ、写真を持ってきて良かった。


     チッチちゃんのおかあさん タケノコありがとー

 帰り際、そのお宅の庭を車内から見ると、確かに金網で囲ってあったが、チビ犬は見えなかった。

 帰宅すると、らいおんさんが届けてくれたタケノコが台所に鎮座していた。ラッキー! さっそくばあちゃんちに運び込んで料理してもらう私であった。(ちなみにワラビは帰路に旬の里で一束買ってきた。150円であった=私の労力も150円ということ…)


  右が私の採ってきたワラビ 左は旬の里で買ってきたワラビ 

                                             
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