東浦路を辿って
とりあえずはバンタ石らしき大きな石を見つけましたので、そのまま踏み跡を辿って、小縄地へと足を踏み入れようと思いました。いったいこのまま下るとどこに出るのでしょうか。
採石場の運搬道が近くなりました
これまで、地元のお年寄りから聞いてある話は、
「私が子供の頃は、小学校2年生までは縄地の分校に通って、3年生になると峠を越えて河津浜の小学校に通いました。トンネルをくぐったところにあるガソリンスタンドの横に道があって、そこから坂を上って旧道へと出て、歩いていったんです。」
また、読者様から最近聞いた話では、
「はっつけ坂と妻坂は総称して同じようです。
中条からトンネル横に出て国道を横切り、旧道に上って行く途中にバンタ石(漢字は分かりません)
と言う直径2メートルくらいの平たい石があります。
昔、その石の上で仕置きしたと言うことです。薪取りに行ったとき、その上でお弁当を食べていました。」
「旧道へ登る道は、下田方面からトンネルを抜けてすぐを左に上流に100m位の
ところで昔は橋があって川を渡って上って行く道で少し左手に入ってから上りながら行き、
右に緩いカーブを描きながら上っていく道で最後はまっすぐに上った記憶があります。
右に緩いカーブの途中の右手にバンタ石がありましたよ。」
ということです。
これらのお話をここまでの探索と併せてまとめてみますと、このようになると思います。
あくまでも想像した道筋です
下田から北上して下条バス停で現国道135号線を横切り、下条から道標のある中条へ上ります。道標(「此方いなとり小た原」と記してある)で右折して、はっつけ坂を上ります。上り詰めた峠のような所には水準点があります。そこからは荒れた山道のようになった妻坂を下り、トンネルの出口で再び国道を横断します。妻坂はさらに下り、小縄地の川を渡ります。そこからははっつけ坂よりもずっと急な麹坂を上ります。その途中にあるのがバンタ石です。麹坂を登り切ると、そこは旧国道が通っています。東浦路は国道の切り通しを通り、東進しています。
ただしこれらの坂の位置は確定してはいません。2009年1月18日に話を聞いた中条在住のご婦人は「はっつけ坂がどの坂なのかははっきり知らない」と話していましたし、K藤先生は「麹坂はとても急坂で、まるではりつけにあったような苦しさを味わうので、こちらの方がはっつけ坂としてふさわしい」と書いておられます。
小縄地に下りる
さて、バンタ石とおぼしき石はあったし(たぶん)、電信柱も立っていたし、明治19年測量の地形図にある実線のルートをほぼたどってので、これが東浦路だろうと思って、小縄地に下りることにしました。もうすぐそこに採石場と積み出し桟橋とを結ぶ運搬道が横たわっているのですから。
電柱を右に見て、踏み跡というより涸れた沢を下ります。最後は茅を掻き分けるようにして採石の運搬道に近づきます。この道路はかなり荒っぽく作ってあるので、踏み跡からは土手を飛び降りるようにして降り立ちます。いつ採石を満載したダンプカーが通るかと、内心ドキドキしながら運搬道に降り立ちました。

画面右上から来て、青いビニルごみのある辺りに降りました

左 小縄地の湊へ 右 縄地の妻坂へ

ここも妻坂の一部なのだと思います
そちらに東浦路が通じているはず、という海の方を見ると、現国道まで約120mという地点でした。
運搬道は立体交差で国道をくぐっていますが、その手前に分岐があり、一部が上り坂になって国道につながっています。そこはもうこれから歩く妻坂の始まりなのだと思います。
妻坂を上る
国道を横切る時は、トンネルから飛び出してくる車に気をつけなければいけません。渡り終えると、目の前に妻坂があります。

国道越しに妻坂を見たところです
国道を渡ったところで、今降りてきた道がある辺りを振り返ってみました。私は画像中央のこんもりとした山の左を降りてきました。地図で見るとそちらに東浦路があるようでもありましたので(まさかその右の険しい谷をを東浦路が通っているということはないですよね)。

国道から、今下ってきた麹坂を振り返りました
薄暗い森の中を、妻坂は上っていきます。車は上がれない坂で、人もほとんど歩かないのでしょう。道普請は行われていないような感じです。普段は雨水しか流れないのではないでしょうか。しかし石段が残っており、東浦路としてたくさんの人々の往来を支えていた往時の姿を辛うじて留めています。

国道を横断して妻坂を見ています

荒れるに任せているような坂です

右に曲がって左に折れて上っていきます
坂道が右に大きく曲がるところを上から俯瞰してみました。荒れてはいる坂道ですが、むしろ昔の姿をそのまま留めていると言ってよいかもしれません。なかなか風情のある坂だと思います。

右下から上ってきました
S字型の弧を描くようにして妻坂を上がってきました。
登り切ったところは峠のようになっており、さらに右手に上る道があります。そちらは、現在の縄地公民館(かつては縄地分校で、もっと昔は縄地金山の奉行であった大久保石見守長安の屋敷)につながっています。

小さな峠にたどり着きました 水準点が設置してあります
水準点
分岐点の傍らに、水準点の石標があります。水準点は、時代が江戸から明治に変わった時に主要道を測量して作られた基準点ですので、ここがまさに江戸時代に存在した古道であることを示しています。

明治時代の初期に設置された水準点だと思います
はっつけ坂
峠からはコンクリートで簡易舗装された坂道が南に下っています。これまでの情報を総合するとここがはっつけ坂になるのですが、どうでしょうか。

峠から下っていく「はっつけ坂」
坂の途中にはちょうど白い梅の花がほころび始めていました。

梅の花が坂道に彩りを添えていました

まもなく縄地の中条に出ます

坂の傾斜が緩やかになりました
坂がほとんどその傾斜を失う頃、突きあたりの丁字路に出ます。左には海善寺の跡があり、高いところに念仏塔や大日如来の石塔などが残っています。

下田に移転した海善寺の跡
また右手の民家の庭先に小さな道標が立ててあります。ここは下田と松崎と稲取への道を分ける重要な地点ですので、道標が立てられたのでしょう。道路の拡幅工事の時にも失われずにここに残っているのは、素晴らしいことだと思います。

道標のある中条の丁字路 左は松崎へ 右がはっつけ坂

高さ40cmほどの小さな道標
バンタ石はどこに
さて肝心のバンタ石ですが、メールを下さった読者様に写真を送って、見ていただきました。その結果、私が見つけた石はどうやらバンタ石ではないことが分かりました。残念・・・。
かくなる上は…、と思って、現在縄地に住んでいる古老を訪ねて聞き込みをしようと思います。しかしまさかお年寄りを連れてあの急な坂を上り下りするわけにもいかず、困っています。引き続き情報を求めながら、バンタ石を見つけたいと思います。
縄地 麹坂のバンタ石を探せ〜その3 に続く(かな?)
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