葉

縄地のバンタ石を探せ〜4
探索 2009年2月11日   
 
バンタ石の謎に迫る
 慶長時代の金山で用いられた“ちょこ石”と“擦り石”を見せてくださったご主人にお礼を申し上げ、いよいよバンタ石の所在について教えてくださるというお宅を訪ねることにしました。


         国道脇に転がっているのは金鉱石のズリでしょうか

バス停で国道を横切って、東浦路の坂を上っていきます。古そうな石垣がほどよく風化していて、時の流れを感じさせています。



坂の途中には、乾いたコケを身に纏った大日如来の石塔が立っています。



この坂には名前がついていないとのことですが、一般的に牛の供養塔とされる大日如来の石塔があるのですから、農耕の牛馬が幾度となく上り下りしたことでしょう。坂に名があるとしたら、「牛坂」あるいは「牛転坂」などが相応しいと思います。でも勝手に名前を付けては行けませんね。想像するだけに留めておきましょう。



思わぬ展開に感謝感激!
 坂の途中で先様に電話をかけて、お話を聞きに伺ったことを伝え、面会をお願いしました。
ところが、ここから思っていなかった事態が展開しました。私がのんびり河津桜を見てきたことから、あいにく来訪時間は午前11時半を回っていました。私としては、初対面でお話を伺うことから、玄関先で十分ほど立ち話をしてバンタ石の位置を尋ねるつもりでいました。
 しかし、ご子息が連絡をとってくださっていたからでしょう、見ず知らずの私を快くお宅に招き入れてくださり、その上、

「猪肉を煮てあるから、昼を食っていかんかね。」

と勧めてくださったのです。人様のお宅で昼食をいただくなど、何年ぶりのことでしょう。
猪ナベをいただくのも私は10年ぶりぐらいですので、遠慮しつつもいただくことにしました。

しかし私が最初にかぶりついたのは、いやに固い塊でした。

「あ、そりゃ、骨だ。骨に付いている肉の方が旨いけど、食べやすい切り身も煮てあるから、箸で探して食べなよ。」

は、はい、確かに身だけの肉もありました。(^_^;)
猪肉は煮れば煮るほど柔らかみが増すそうですが、実にしっかりした繊維質を感じさせるダイナミックな食感があり、臭みなどは感じませんでした。

「米は田んぼで作っているからいくらでもあるよ。お代わりしなさい。」

と、私に二杯目のご飯をよそってくださいました。猪ナベは温めてないので冷たかったのですが、暖かいお持てなしにねこ村の胸もお腹もいっぱいになったのでした。



お昼をいただきながら、1時間も縄地の話を伺いました。その内容はいずれ紹介したいと思います。

現地散策へ!

 「じゃあ、バンタ石を見に行こうか。軽トラに乗りなさいよ。」

えっ、!? お話を聞かせてくださるだけでなく、現地を案内してくれるのですか!? じゃあ、東浦路のはっつけ坂とバンタ石の位置を直接見ることができるのですね。思っても見ない展開が次々と進んでいくので、こんなにありがたいことが続いていいのかと、私の心は狂喜乱舞していました。

Sさんの軽トラは坂道を下り、国道に出ました。バス停を左折し、最初に来たのは、寺坂の入口です。

寺坂
 国道の縄地トンネルの南坑門近くに、この坂があります。地福院に行く参道です。



今でこそ自動車が通ることのできる広い道になっていますが、昔は沢沿いの狭い歩道だったそうで、今は微かに痕跡が残るだけになっています。(後に坂学の師匠に検分していただいたところ、「江戸や明治初期の時代までは、中条の東浦路から枝分かれして地福院にお参りする長い坂道だったのでしょう。」ということでした。確かに、現国道は昭和になって作られた道ですので、寺坂の下端は国道にあるはずはないのでした。まだまだ道の見方ができていないねこ村です。うう、恥ずかしい…。

いよいよはっつけ坂(麹坂)へ
 寺坂は下から眺めるだけにして、取り急ぎ東浦路を辿ってバンタ石のある場所にいくことにしました。
 現国道の縄地トンネルをくぐり、北側の坑門を出たところからすぐに分岐する枝道を下りました。しかしこの道こそが、東浦路そのものなのでした。

 坂を下りますと、そこには採石場と積み出し桟橋とを繋ぐ運搬道が無愛想な顔をして横たわっています。ライセンスプレート(国土交通省発行のいわゆるナンバープレート)をつけない大型運搬専用車が、砂ぼこりを立てながら我が物顔に道を疾駆しています。



採石を積んだ黄色い大型トラックは、まさに現代の恐竜。私たちの姿を見ても減速などせず、運転手はちらっとこちらを見てもなお採石を湊まで運ぼうとするのでした。



トラックの音が遠ざかってから運搬道に上り、東浦路を辿ります。はたして入口は私の見た場所と同じなのでしょうか。いよいよネコ村が地図や経験から見立てた東浦路とバンタ石の在処が明かされるのです!



はっつけ坂と東浦路へ
 運搬道を横切ったS氏が足を向けたのは、私が先日下った、ブルーシートのある排水溝でした。ここが東浦路だったのです。合ってたー!



氏は、どんどん枯れ草ですっかり覆われた枯れ沢を登っていきます。



途中、話に伺っていた清水の湧く沢を見ましたが、その地点には一滴の滴りさえ見られませんでした。

「ここに、清水の湧く沢があったんだよ。ああ、でも涸れているな…。辺りの様子も変わっているようだ。」

と、氏は落胆の様子を隠せません。私はただ後に従って頷くしかありませんでした。


              かつては清水が湧いていたという沢の跡

ここから、道は氏が驚くような変容を見せていることが分かりました。
私が辿ってきた沢は、東浦路そのものだったことがこれで分かりましたが、その様子はかなり変わっていたようです。

「おかしいぞ、山の形が変わっている。どうも上の道から土砂を落としたようだな。」
「ああ、こんな所に電柱が立っている。誰が立てた電柱だ。こんなもの、元は無かったぞ。」

私が古い道である証として見ていた電柱は、新しく設置されたそれだったのです(恥)。



「道も山も、(以前より)形が変わっているなあ。」

と訝りながらS氏は上っていきます。私としてはここが東浦路であったことが分かっただけで大収穫だったのですが、どうも氏の心には不安という黒雲が立ちこめていたようです。足早にどんどん坂を上っていきます。

「そうか、(採石運搬のための)道を作る時、山を崩した土砂を上から落としたんだな。ひどいことを…。」

S氏の言葉からは、故郷の土地の形を変えたことに対する憤りが感じられす。見上げると、さっきの大型ダンプカーが下ってくる運搬道がすぐ上に見えます。あの道を作る時に土砂を東浦路のある沢に落としたということでしょう。



「もうすぐバンタ石があるよ。」

その声に胸がはやる私。この先にバンタ石があるのです。私が見つけた石は、バンタ石なのでしょうか。いよいよ謎が解き明かされると思うと、足は自然と早まりました。



と、S氏の足がふと止まりました。その目の先には、私がバンタ石だと思っていた大石があります。
しかし、S氏の口から発せられた言葉は・・・、




 「ああーっ、バンタ石がひっくり返っている!」
          
       ・
       ・
       ・
  えええっっっ?!(・_・)エッ......?



 バンタ石がひっくり返っているですって・・・?!

「何てこった…。そうか、道を作る時、重機が持ち上げてひっくり返したんだな…。」

「バンタ石はこのもう少し上にあって、すこし道(東浦路)にかかっていたんだよ。休むのにちょうどよい石だったんだけど…。ああ、何てこった…。」



悲しい謎の解明でした。

いかにもこれがバンタ石だろうというところにあり、私も間違いないと思っていたのに。これでは地元の読者様に写真を見ていただいても、「違うようです。」と返事が来るわけです。



S氏の落胆ぶりは、手に取るように分かりました。こんな結末になるなんて…。氏は、ひっくり返ったバンタ石の前で、いつまでも呆然と佇んでいました。


 バンタ石の前で肩を落としすS氏 見てられません

   「縄地のバンタ石を探せ〜5」へ続く
                                             
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