葉

熱海坂巡見
坂巡り 2008年6月4〜5日   
 
1 坂学会 6月のイベントは熱海にて

イベント 静岡県熱海・伊東の坂を歩く 巡検 平成21年6月5日(土)〜6日(日)
1 日時・集合・解散

 集合: 6月6日(土)JR熱海駅10:00

 解散: 
1日目 熱海駅 17:20頃 
2日目 伊東駅 15時頃

2. 参加者 1日目8名 2日目7名

3 坂の数 (総数18坂)
 1日目  8坂(桃山坂、権現坂、逢初坂、海光町の坂、寺坂、楠坂、宮坂、湯汲坂) 
 2日目 10坂(桜坂、富士見坂1、月見坂、眺望坂、朝日坂、富士見坂2、地蔵坂、惣堂坂、おくまん坂、入道坂)

 伊豆半島が相模灘に面する地域は山が海に迫る険しい地形をしています。そういう地域を開いて作られた町には坂が多いです。今回の坂巡りは、そうした土地にある静岡県熱海市と伊東市の坂を訪ねることにしました。

1日目(6月5日)

1 熱海市伊豆山エリア
いうまでもなく熱海は坂の街です。熱海市や熱海観光協会では坂の保全と広報に努めており、坂名標を設置してある坂もいくつかあります。

@「桃山坂」

  最初に訪ねたのは、集合場所である熱海駅のすぐ裏にある「桃山坂」です。駅裏の桃山地区を上っていくこの坂は、伊豆山神社の資料館に展示してある宝暦年間の古地図で「桃坂」と記されている坂のことでありましょう。
駅の裏に回り込むようにして線路のガードをくぐり、少し坂を上り始めると、「桃山坂」の坂標があります。



残念ながら今回は下から坂と坂標を見るだけで、伊豆山地区に移動することにします。

「愛初橋」

伊豆山神社の参道である権現坂に行く前に、願成就院に車を停め、近くにある鎌倉古道へと寄りました。ここは頼朝と政子が逢瀬にしたと伝えられている橋で、現在は江戸時代に掛け替えられた石橋になっています。幅約1,2mのアーチ型の小さな橋ですが、存在感を持って私たちの目に映ります。



A権現坂
  バス停「伊豆山神社」のある鳥居からコンクリートの階段で下るのが権現坂です。 権現坂は伊豆山神社の参道であり、鳥居からまっすぐ海まで至る、神の道です。下り口に坂名標が設置してあります。







熱海市では、このような立派な坂名標を置いています。自然石を磨いて成形した石標に坂名を刻んで、坂の位置や距離などを日本語と英語で説明したプレートを嵌めてあります。

坂名標から国道までの下り坂は428段、上って伊豆山神社境内までは、175段あるそうです。  雨で濡れた階段を一歩一歩下りていきます。左右にある空き地は、かつての宿坊のあった跡でしょう。空き家になっているらしき民家があるのには、淋しい感じが禁じ得ません。





B逢初坂
 国道を渡ると、そこから始まる逢初坂がさらに海岸へと私たちを誘います。逢初坂もコンクリートの階段です。 傾斜のきつい逢初坂を下ると、眼下に太平洋の景色が広がります。



坂の途中には走湯神社と「走り湯」があります。「走り湯」とは、ここ伊豆山地区で最初に掘られた源泉といわれており、徳川家康もつかったと言われる温泉です。湯気が充満するトンネルの7mほど奥に高温の温泉が湧き出ています。



逢初坂を下りきると、坂名標があります。



海光町エリア

C海光町の坂
 逢初坂を見た後で一旦車に乗り、海光町(かいこうちょう)の坂へと来ました。



海光町は国道から海に向けて下る道が坂になっていますが、道が行き止まりの周回路になっていることと、この地区が住宅でなく別荘地の並ぶ地区であることから、生活の場ではない、とても静かな坂エリアになっています。しかも路面が20cm四方程度の石を敷き詰めた石畳の道となっており、熱海の他地区の坂とは違う独特の風情が感じられます。



この海光町エリアの坂が今回の参加メンバーに大変好評で、後に話し合った「熱海坂巡りで最も心に残る坂」の第一位に輝いたのでした。



 次は、隣の神奈川県湯河原町から行った方が近い寺坂を訪ねるため、車で移動することにしました。熱海ビーチラインを北上し、湯河原温泉方面を目指して走ります。

D寺坂
寺坂というのは、保善院の参道を言います。そこでまず保善院に行ってみました。



寺の境内をざっと見て山門から下り、寺坂の上端まで歩きます。 そこには苔を身に纏った坂名標がありました。日陰に立っており、手入れをする人もないので、こうした汚れがついているのかもしれません。



寺坂は車が一台やっと通れるくらいの幅しかありません。この道幅が、まさにここが昔から寺に通じる坂であったことを物語っています。200mほどの寺坂を歩く面々。車は後からゆっくりと追いかけます。



ふたたび熱海市街へ 湯河原から熱海へと戻り、坂巡りを再開しました。

E楠坂
 まさに街全体が坂でできていると言っても過言ではない熱海の街を車で駆け上がり、 来宮神社の境内に寄り添うようにしてある楠坂を歩きます。 ご神木として崇められている楠にあやかって名づけられたのでしょうか、来宮神社の鳥居のそばに坂名標がありました。  



もちろん参加者一同で神社にお参りします。樹齢千年と言われるご神木の周りを、1周すれば1年、2周すれば2年…と長生きできるそうです。



F宮坂
 来宮神社を後にして東海道本線の石巻のガードをくぐり、さらに県道を横切って熱海市街へ下りる坂が宮坂です。 この「宮」が来宮神社を指していることはすぐに分かります。 坂の傾斜はかなりきつく、道幅も狭いので、通行車両に対する注意は怠ることができません。下り始めてすぐのところに、坂名標が立ててあります。



下り始めて数分で坂の傾斜はゆるやかになります。道の両側に立つ家並みのたたずまいが、宮坂の歴史を物語っているように見えます。



 途中の角を左に折れ、しばらく歩くと湯前神社があります。ここから東に延びるのが湯汲坂です。(写真)



 神社の名からして、湯の町熱海を守る神社であるのでしょう。 ここで、数人の若者と出会いました。熱海の活性化を図る企画「オンたまプログラム」にイベントのアイデアを提供している若者集団です。坂学会の存在もご存じだそうで、
「こんな所で坂学会の幹部に会えるなんて!」
と感激していました。熱海の坂が観光資源としてさらに活用されるよう、知恵を絞っていただきたいものです。  

湯汲坂の途中には、間歇泉や初期の公衆電話ボックスなどがあり、一つの見どころとなっています。熱海は早くから温泉のある保養地として発展したので要人が訪れることが多く、そのため、首都圏と早く連絡をとる必要も生じたので、早くに電話が通じたそうです。



坂名標は、湯汲坂を下りきった市道脇に立っています。



本日の坂巡りはここまで。桃山坂から湯汲坂まで、合わせて7つの坂を見てきました。雨はいつの間にか上がり、街も夕暮れのネオンの輝きに向けて活気を取り戻してきたような…。 ここでお別れするHさんを熱海駅までお送りし、一行は本日の宿泊先である来宮の連月荘へと向かうのでした。


2日目(6月6日)

熱海市伊豆多賀・網代エリアの坂 坂巡見2日目は、熱海市街を離れ、熱海市伊豆多賀と伊東市網代(あじろ)の坂を訪ねました。

H桜坂
海岸線を走る国道135号線を南下し、伊豆多賀に来ました。 国道からJR伊豆多賀駅に至る坂には桜が植えられ、桜坂と名づけられています。伊豆多賀駅まで上がってみると、木漏れ日の揺れる駅前の広場には、桜の木がいっぱいに葉を広げて6月の陽光を受け止めていました。



思い思いに桜坂を下る学会員は、額に汗しながらも、その表情には坂を歩いて満喫する笑顔が浮かんでいました。

I富士見坂(1)
さらに車で南下し網代地区にきました。網代駅をかすめて鉄道ガードをくぐり、山の麓に沿うようにしてゆるやかな市道を上っていきます。月見が丘公園を右に見て、左斜めに上る坂が富士見坂です。坂の高いところまで行けば富士山が見えるのでしょう。



J月見坂(下り)
 月見が丘公園から川沿いに下る道が月見坂です。私が下見をした時には気づかなかった立派な坂名標が、今回はいとも簡単にメンバーによって見つけられました。“嗅覚”の違いでしょうね。



K眺望坂
 網代駅近くの鉄道ガードをくぐり、少し伊東方面に進むと、山側に眺望坂があります。車を降りて徒歩で上っていくと、車道が終わって山道になる辺りから、線路越しに網代の街や相模灘を見渡すことができました。





L朝日坂
 網代駅付近から海岸通へ出て、網代小学校のある港へと移動しました。網代小学校の脇をかすめてこの先にある朝日山に上る道が、朝日坂です。小学校の校舎側に、坂名標があります。



朝日坂は、網代や熱海、小田原、そして相模灘と太平洋を見渡すことのできる、実にダイナミックな坂です。かつてはこの坂を、制服に身を包んだ中学生が盛んに上り下り下したのでしょう。過疎化の波は、坂の風景までも変えてしまったのです。

M富士見坂(2)
 朝日坂を上ると、その先で富士見坂が左へと分岐しています。ここは山間部を網代長谷観音まで巻く山道です。滑りやすい山道であり季節からして蚊が多いので、歩き通すのは断念しました。



江戸城築城石の丁場跡
 旧網代中学校の脇を通り、朝日山を下ると、江戸城を改築するために切り出された築城石が残っています。石を割るためにくさびで開けられた矢穴がはっきりと残っています。 伊東市宇佐美エリアの坂  昼食をとった後、伊東市宇佐美地区へ移動しました。



N地蔵坂
 宇佐美の山の手にある花岳院の参道は、地蔵坂と呼ばれています。山門の脇に一尊の地蔵様があるためで、上り下りする参拝者を、地蔵様はやさしく見守っているのです。

O塩木道
 宇佐美地区の南側に位置する山の麓に、塩木道とよばれる古道が通っています。この道は古代、海から潮水を汲んで、製塩するために丘まで運んだ道と言われています。従って本来は「塩来道」という名だったようです。残念なのは「塩木坂」という名ではないことです。



「伊東市 物見が丘エリアの坂」

宇佐美地区を後にして、今回の坂巡見の最終地である伊東市街へ来ました。坂があるのは、伊東市役所のある物見が丘の周辺です。

O惣堂坂
 惣堂というのは、物見が丘にある仏現寺をいいます。海岸に近い市道に立つ「下田みち」の道標から仏現寺の参道に至る坂で、工事によってかなり拡張されています。  

Pおくまん坂
 仏現寺の境内から北に下る階段を降りると、丘の麓まで通じるおくまん坂があります。



坂を下りきるところに、伊東市では唯一かと思われる坂名の由来を説明する案内板が立ててあります。



この坂の途中にある熊野神社がかつて「おくまのさん」と呼ばれていたことから、この坂が「おくまんざか」と呼ばれるようになったそうです。車が一台やっと通れるくらいの道幅といい、両側に迫る家並みと言い、古い時代から人々が往来した坂であることが分かります。

Q入道坂
 伊東市は、戦国時代に伊東祐親が治めた土地です。伊東祐親は北条氏の一派で、伊豆に流された源頼朝の監視役を命じられました。しかしその役目に失態を演じたために自刃し、非業の最期を迎えました。その伊東祐親は伊東入道と呼ばれていたので、墓所のある高台から祐親に関連の深い東林寺まで下りる坂が入道坂と呼ばれるようになりました。400mほどある入道坂を蚊に刺され額に汗して下りるメンバーの皆さんでした。


帰路へ
 午後3時過ぎ、JR伊東駅にて今回の坂巡見はお開きとなりました。名前のついた坂だけを2日間で18坂を見てきましたが、熱海市の景観に溶け込んだ坂名標や歴史を物語る伊東市の坂が印象に残る巡見となりました。 ご参加の皆様、お疲れさまでした。

                                             
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