葉

青野道を探索する〜その三
2006年4月22日   
 
さあ、次の課題へ
 ようやくというかとうとう青野への古道を、舗装された市道に接続している地点まで辿ることができました。そこから先、青野地区の様子は全く知らない私なのですが、機会を見ていってみることにします。

 さて、帰路です。今回の探索の目的は、青野道の探索です。まだ歩いていないところは…、そう、尾根からゴルフ場のそばをかすめて特別養護老人ホーム「梓の里」にある青野道の道標までの道筋です。前回私1人で探索に来た時に教えてもらった遠野平から、地図に薄く記された点線を辿り、道標まで行くのです。こちらは踏み跡が怪しく、ルートファインディングも難しいようなので、緊張します。今回の探索のある意味、目玉と言えましょう。



お地蔵様へ戻ろう
 青野の水源地からは来た道を戻るのですが、それはしかたありません。初めての道なのでつまらなくはないし、心強い道の先生も同伴してくださっているのですから。ただ、どうも私の体力が低下しており、KAZUさんにはご迷惑をかけてしまいました。やはり体重増加と運動不足はいけませんね。

 途中、「青野から登ってきたとしたらここが迷いやすいです。」という地点を教えてもらいました。鉄塔の保守道を示す矢印のペイントが沢を渡って東に行くように書いてあるのですが、そちらは保守道なのかな、と思い込んでしまいやすいようです。それでで、青野道は直進だなと、進路を真っ直ぐとってしまうらしいのです。


  ここが却って迷いやすいとのこと! 矢印に沿って右折してよいのです

尾根道へ
 さて、ようやくお地蔵様の所まで戻ってきました。ここからは、塔の平を目指して尾根道を行きます。
 三方向に分岐する交差点「三方(さんぽう)」を右折して、東に向かいます。途中のビューポイントからは、太平洋に浮かぶ島々がうっすらと見えていました。私が育った東伊豆町片瀬の浜からもあの島々は見えていました。懐かしい島影です。


    画像ではよく見えませんね あれは新島と利島でしょう

塔の平の分岐から
 さて、塔の平への尾根は右で、左は青野道だろう、という分岐まで来ました。踏み跡は左についているので、私も前回は左に下り始めてしまったわけです。今回は意図的にそちらへと進みましょう。


  普通に歩いていると左に進んでしまいます

 左手にはぬた場があります。しかしそれは水源とのことでした。比較的標高は高い所なのですが、「岩盤があるので染み出しているのでしょう。」とKAZUさんが教えてくれました。


       どこの川の源流でしょうネ

 さて、問題はここからです。初めは道がはっきりついていたのですが、ウバメガシや馬酔木の灌木地帯を抜ける頃、踏み跡が怪しくなってきたのです。しかし尾根を外さず、ゴルフ場につかず離れず下っていけば、必ず「梓の里」に行けると思っていたのです。しかしそれは甘かったのでした。

森とゴルフ場との狭間で

    右(東)が明るくなってきたかと思うと…

 ただし、ここで素晴らしい景色を見ることができました。ゴルフ場の一番奥と思われる辺りに明るく開けたところがあり、それこそ目映いばかりの新緑がきらきらと輝いていたのです。


                おやおや…?


                    おお、この景色は…!

 KAZUさんには申し訳なかったのですが、しばし足を止めて黄緑色の絨毯に見とれてしまいました。

 ところで、ここで発見したことがあります。何と、ゴルフ場の予備コース用の土地かと思われるその黄緑色地帯の所々に、タラの若木が群生しており、摘むには伸びすぎてはいましたが、タラの芽がたくさん出ていたのです。しかも私の大好きな山菜、「ナナカマ」の幼木もたくさんあるではありませんか。これはもう少し早く来れば、嬉しい思いができたに違いありません。


    タラは有名ですが、ナナカマは無名の山菜かも


  踏み跡はこんな風に加増野に向かいます

 さて、話を戻しましょう。青野道の様子ですが、右手(東)はゴルフ場になっており、左手(西)は昼なお暗い森になっています。そうして歩いている間はよかったのですが、そのうち、ヘビが潜んでいそうなウラジロや足に突き刺さるバラなどの茂みを避けるのに迂回しなければならなくなり、歩くのに難儀するようになってしまいました。

困った!
 そうしながらも右手にゴルフ場が見えているうちはよかったのですが、ちょっとでも離れてしまうと辺りは森となり、尾根筋を特定するのが困難になってきました。KAZUさんは地図とにらめっこをして懸命にルートを特定しようとされています。力になれない私は、完全にお荷物になってしまいました。


     お客さん、いませんね


  このゴルフ場内の吊り橋は、現在使われていないそうです

道を失う?
 さて、ゴルフ場が木立の間から見え隠れしている間はまだ安心していられたのですが、徐々にそれも怪しくなり、とうとうルートファインティングが難しくなりました。ここはどこなのでしょう!?


    わずかに巻かれている赤いテープが頼りの綱です

尾根を右に行くか左に行くか、選択を求められる事態となってきました。


    これは忘れられた看板? 

 とうとう二人で頭を抱えることとなってしまいました。ここでKAZUさんの判断により、思い切って右に下りていくことにしました。私としても、青野道は尾根の東を進んでいるので、賛同しました。
 思い切って薮をこいでいくと、しかし幸いにも踏み跡が復活したのです。ああ、よかった…。


   この薮には困りました 眺望はないし、方角も分かりにくいのです


       おお、道が復活しました よかった!
 
崩落地点
 らいおんさんの10chで報告されていた崩落地点ですね。却ってこれが目印にもなり、大いに助かりました。だってここをらいおんさんは通られたのですし、この先に加増野の里が通じていることに間違いはないのですから。


     ちょっと周りと違った奇異な風景です

 崩落地点を通り過ぎて振り返ってみますと、どうも踏み跡は尾根を伝っているような感じがしました。ここから先は檜林の中を僅かな踏み跡を求めて下っていきました。


         尾根筋を外さないように行きましょう

 やがて、右手の木立の間に、ゴルフ場のロッジの屋根が見えました。だいぶ下ってきたようです。しかしそことこの尾根の間には、深い谷が刻まれています。このまま進んででよいのでしょうか。道は一体里で合流するのでしょうか。

それでも、らいおんさんが数日前に歩いてアップされた記録を思い出し、また、どなたかがつけたテープを見つけては、歩を進めていきました。
 やがてゴルフ場は木立の間から見えなくなり、私たちのいる位置も地図上でマーキングするのが難しくなりました。それで思い切って東に下りることにしたのですが、結果としてそれがよかったのでしょう。再びゴルフ場のロッジの屋根が見え、ほっと胸をなで下ろしました。進む方角としては合っているということになるのですから…。

 ところが、すでに踏み跡はほとんど失われています。幸いにも沢を流れる水音が聞こえているので、里は近いと判断し、思い切って標高を下げることにしました。


      右手にはゴルフ場のロッジが   もどかしい思いがします

 と、ここで先達の足跡を発見。まだ新しいようです。3,4日前に歩いたのかな?と思えるような印象を受けます。心強い後ろ盾を得たように感じました。すると、あれれ、あそこに見えるのは、林道ではありませんか?! 

 「青野道の入り口は林道と重なっている。」という情報がありますので、思い切ってそちらに下りることにしました。

尾根を右へ すると林道が 
 KAZUさんと相談して、もう思い切って右下へ下りましょう、という事にしました。これは人の踏み跡かなあ、それともイノシシの足跡かな、という状況になりましたが、何となく人間の臭いがします。畑が近いのかな、という感じもしてきました。


   標高もだいぶ下がってきました ちょっと不安ですが、行きましょう


  ちょっと変わった花が咲いていました 
 
 谷が近くなってきたな、と思っていたら、何と、下に林道が見えるではありませんか。加増野から来る林道でしょうか。もしかして青野道の名残と合流したのでしょうか!? となると、ここでよかったのではないですか! KAZUさんの読図と見立ては、大正解だったのです。


    り、林道だ! 私たちは通っていたのです、青野道を
 
 とりあえず林道へ、と、半ば強引に山肌を下りました。
 おりてみると、利用されなくなったみかん畑などがあり、この林道も行き止まりのようになっていました。ま、何はともあれ、今回の課題はほぼ100%達成したと、私は大満足でした。

加増野の里へ

  
 こうして、無事に林道に下りることができました。

 しかし一つだけ釈然としないものがありました。それは、本当の青野道はどこを通っていたのか、ということです。
 私は、ゴルフ場ができた時に、青野道の一部を吸収してしまったのではないかと思っています。いえ、土地の古老に尋ねればそれは分かると思うのですが、地図に示された尾根沿いの点線が薄く記されているので、ひょっとしたら、それはゴルフ場造成のための付け替え道路ではないかという思いがするのです。研究中の諸氏のご意見を伺ってみたいものです。(2006 4 29に加増野の知人にたまたま会えたので、聞いてみました。昔、青野道の道作りに出た時、確かに今はゴルフ場になっている地点で仕事をしたそうです。ですから、昔の青野道は、ゴルフ場の中を通っていたと考えてよいようです。たぶんタラの木が群生している辺りの奥までは、ゴルフ場の中を通っていたのでしょう。道理で今日下ってきた道は踏み跡が心許ないものだった訳です。)

 さて、この林道には珍しいものがありました。道ばたにいくつも穴が掘ってあって、その中にイモなどを貯蔵しているようなのです。何か栽培の試験をしているような…。あ、らいおんさんが「おばあさんがイモを穴に放り込んでいた」と10chに書かれているのは、ここですね、きっと。


     イモの貯蔵庫が並んでいます

 さあ、とうとう林道が里に出ました。
 と、KAZUさんが、尾根に登るらしき小径を発見されました。これがもしかしてさっき私たちが歩いていた尾根に続く道でしょうか。この先の民家に来る道を車道に拡幅したので付け替えた、というように感じました。これがもしかして本当の青野道かもしれません。徐々に青野道の本当の姿が見えてきました。これはもう大収穫です!


    右は加増野へ 左は青野道へ?

旧松崎往還(甑場越)と青野道の交差するところ
 林道が舗装路になり、下りていくと、自動車板金屋さんがあります。下から上がってくるとしたら、外されたフェンダーなどが目印になるでしょうか。
 やがて松崎往還と交差する地点に出ます。僅かに離れた畑の入り口に、打ち捨てられたように朽ちてしまったサイの神があります。かつてこのサイの神様を祀っていた地主さんが宗派替えしたために、以来、放置されれいると聞きました。


  松崎往還に下りていく辺り 里のいい風景がたくさん残っています


      忘れられたサイの神様

屋号「茶屋」のお宅の存在
 「あそこに見えるのは『茶屋』という屋号の家だよ。」と、かつてこの地のおじいさんから聞いたことがあります。他所から歩いてきてこれから青野へ行くという人が体力を温存するためにいっぷくした茶屋でしょう。そして傍らにあるサイの神。まさにここは青野道の入り口なのであります。 


     屋号茶屋さんは中央右手の辺りにあります

そして「青野道」の道標へ
 夢を叶えてくださったKAZUさんにお礼を申し上げ、「梓の里」の下にある道標を見に行きました。
 ここで、前から不思議に思っていたものを紹介しました。なぜか駐車場の傍らに、立派な祠と報篋印塔の上部、そして灯明台があるのです。かつてここに何かお屋敷でもあったのでしょうか。不思議です。


 さて、道標です。駐車場を突っ切って、石段を下ります。
 下では、採石を積んだダンプカーが走り過ぎていきます。その県道(松崎往還)に下りる途中に、大正年間に立てられた道標があります。



道標には、「青野道 距□」と読めます。よくぞ道路工事の際にも捨てられなかったものです。


        高さ30cmほど よくぞ捨てられずに残っていたものです

 さあ、これで青野道のほぼすべてを歩くことができました。距離が長く、歩きにくい地点や迷いやすいところもあり、大変、探索する価値のある古道でした。これがかつて下田の加増野と南伊豆の青野付近を繋ぐ主要道だったのですから、時代は流れたものです。昔の姿はどんなのだったでしょうか。

 今回は峠の地蔵様から一条につながる道も教えていただいたので、次はそちらも歩いてみることにしましょう。来年、タラの芽が採れる頃かなあ…、来てみましょうネ。




それから1人、狼煙崎(のろしざき)へ
 ここからはおまけなのですが、KAZUさんと別れ、らいおんさんちに挨拶に寄ってから、白浜の会の仲間と急いで合流することにしました。彼らは、下田市吉佐美、いや鍋田かな? の狼煙崎の燈明台を探索に出かけているのです。実は前回の白浜の学習会で、江戸期の下田の絵地図を見る機会があり、それに須崎の岬と鍋田の狼煙崎の2カ所にそれぞれ台場(砲台)と燈明台がはっきりと記されているので、それを見に行こう、という計画が急遽持ち上がり、この日、実行されていたのでした。

 おふくろまんじゅうの駐車場から会員のSさんの携帯電話に連絡してみると、既に一行は大賀茂の石丁場跡探索を終え、車で移動して狼煙崎に向かって歩き始めているとのこと。これでは拙宅に寄って昼食をとることは無理です。慌てて100満ボルトに寄って、デジカメ用電池を補充。狼煙崎に向かいました。

 入り口は多々戸への峠の向こにある峠ですが、フェンスに阻まれて入れません。S木さんに教えていただいた入り口も分からず、迷いながら石垣をよじ登って狼煙崎への道を探しました。


      狼煙崎への入り口(右)です


     初めはこちらへ行ったのですが…


       事務所跡のある方が入り口でした

 やっと道を見つけたのですが、国道からはかなり歩きます。疲れた足を引きずるようにして歩くこと20数分。今度はS木さんから私の携帯に着信あり。みなさんは狼煙崎の先端で昼食をとっているそうです。って、予定では中央公民館で昼食のはず。あらら、私、弁当持ってないよ。そうなら、コンビニで買ってくればよかったな…。


     こんな道をけっこう歩きます ふうふう…


                おお、これはいい磯ではありませんか

 ふう〜、ようやく狼煙崎に到着しました。ああ、ここですか、いい景色ですね。あれ? いつもより人員が多いです。他からも参加者がいるんですね。図書館の特別展に鉱山関係の資料を寄せているF井さんも今日はご参加。あれ? 秘密研究室のM女史や、会員ではないのですが下田の歴史に多大な関心を持ってられるM山調査官さんもおられますね。下田も歴史を継承していく方々です。そんな皆さんは、既にお昼を終えていたのでした。あ、残念ながら磯崎さんは所用があるために他所に向かわれたそうです。次はご一緒したいものです。

 ありがたいことに電話をくださったSさんがお昼を分けてくれ、私もお腹を満たすことができました。ありがとうございます。

 改めて辺りを見回すと、おやおや、岩肌には柱状節理が見られます。爪木崎の灯台下の景観と似ています。
 

      柱状節理って、溶岩が吹き出て冷えて固まってできたの? 


  浅瀬には私の苦手なウミウシが。ぎゃあ〜っ!


        えっほ、えっほ… ちょい恐いところもあります

 狼煙崎の突端をぐるりと東に回り、燈明台を探しました。そして、どうやらここにそれがあったのではないか、というところを特定することができました。倒れた大木の根の下に、基礎に使われたと思われる玉石がいくつも見つかったのです。傍らには、自然石を削った石段らしき造形も見られます。


          熱心に燈明台跡を探す参加者 


     これが江戸時代の燈明台の基礎石らしいです

 かたや、鍋田への岸壁には、かつて下田に江戸へ向かう船の御番所があった時代に艫綱をくくったという穴が残っているとのことで、Sさん達はそちらを見にいきました。

 その穴は私もさるHPで知って、見に行ったのですが、第2次世界対戦終了間際の潜水艇「まるゆ」の係留跡と思っていました。しかし、本当は江戸期に舟を繋留した跡の穴を利用しいたというのが本当のようです。ああ、そうだったんですね…。でもすごいなあ。繋留のための穴や舫石(もやいいし)は、30数個が確認できるそうです。今度は行ってみましょう。

 燈明台跡からは、来た道を雑談しながら歩いて帰りました。熟年の方が多いためか、わらびやキンランを摘み摘み歩いています。 うーん、休日を楽しむ悠々自適の生活。いいですね〜。


      途中に倒れていた石塔です 長さ1mほど これは何?


      満足感を胸に、帰路を辿ります


  皆さん歴史好きだから、次の探索について話題が尽きません


  ははあ、入り口は隣の畑だったんですね
                                             
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