葉

阿弥陀窟に弥陀三尊を拝む〜その4
拝観 2008年5月4日   
 
並ぶ墓石群
 石垣を通り過ぎて私が立ったところには広場があり、ちょうどその土地の縁取りをするように、夥しい数の墓石が並んでいました。圧倒されるような墓石群です。



墓石は、同じ石質の石で作ってあるのでしょうか。一様に風化が進んでいます。それらの墓石群に守られるようにして、一基の大きな墓石があります。これが初代式守伊之助の墓石でしょう。



草場の陰には、こういうお地蔵様もひっそりと手を合わされるのを待っています。



そして、風に倒れた石塔も散見されます。



不思議なのは、墓石に様々な地名が刻まれていることです。
下の墓石の画像には「越後國」



これは「若狭國」



こちらは「奥州」か「奥羽」と思われます。



これは「丹波國」



これは「吉備津」



こちらは「出羽國」です。



そして「和泉国」



「出雲国」もあります。島根のことですよね、遠いのに…。



少し離れたところには、こうした無縫塔が立っています。お坊さんのお墓です。この阿弥陀堂を守っていた堂山さんのお墓でしょうか。



広場の海側には、まだ新しい「天然記念物手石ノ彌陀ノ岩屋」と刻まれた石碑が立っています。



竹藪の低いところを見ると、手水鉢と首のない地蔵様が草に埋もれていました。無惨であります。



 さて、今回ぜひ見たいと思っていたのは、石丁場の記念碑です。江戸時代後期、度重なる異国船の出現に軍事強化の必要性を感じた幕府は、現在の東京湾に砲台を建設することにしました。お台場の建設です。そのお台場の石垣に供するために、この地からたくさんの石を切り出し、舟で江戸まで運んでいきました。その作業が無事に終了したことを記念した石碑があるというのです。その記念碑をぜひとも見たいと願っていました。いったい、それはどこにあるのでしょうか。

辛うじて身をねじ込むことができるような、左右に竹藪が迫る道を歩いていきます。心細いこと、この上ありません。



そして、潮騒が間近に届く岬の突端に、木々に埋もれるようにして、ひっそりとこの石碑がありました。



石丁場の記念碑
 石碑は、石の祠と並んで、静かにその威容を誇らしげに、でも静かにその存在を主張しているようでした。



表面の下半分には、弁財天でしょうか、線彫りの美しい天女さまの姿が見られました。



碑の側面には、この石碑の由来が刻んであります。

「内海御台場 四番七番及佃島越中場 御炮台石供出御用 自文久夷十月 至元治甲子九月 全域右以礎石樹之」
        
正しく読めているかどうかは別として、こんなことが記してあると思います。

「江戸湾お台場の建設に関して、四番砲台、九番砲台、及び佃島越中場の建築材として石を供出する 文久年間の十月から元治年間の九月までで すべてを成した これを以てこの石碑を樹立する」

石切作業を開始した年と終了した年を「葵夷」や「甲子」の暦から割り出すことができないのが残念です。今後の課題にいたしましょう。ちょっと調べれば分かることでしょうね…。明らかになったら、この部分の記述は書き換えます。



他にも、石の切り出しに関わった人たちの名前が刻まれています。数多くの人たちが関わった大事業だったのでしょうね。



石工さんたちの名前も多数刻まれています。「勝田」や「木下」などの苗字は、南伊豆町に見られる苗字でもあります。





傍らにある石碑は、何のために立てられたのでしょうか。海の方を見て、黙して語らず…です。



あの白い石塔を探して
 念願だった石塔を見つけたことは大きな喜びでした。秋になって涼しくなったら、その四番砲台と九番を見に行きたいと思います。たしか九番砲台はまだ埋め立てられずに残っていると聞いていますので。

 さて、ここでもう帰ろうと思いましたが、せっかくなので、阿弥陀窟の脇に立っている白い石塔のあるところまで降りてみようと思いました。正確な位置は分かりませんが、磯まで降りていけば分かるかもしれませんでしょ?


              この下かな、暑いけど、行くぞーっ!

磯を見下ろす岬の突端まで進むと、このように崖にロープが張ってあり、降りてきなさいと誘っているように見えました。



汗をかきかき降りていきました。もう少しダー!



磯は波が静かで、釣りをしている人がすぐそこに見えました。



でも、ここの磯ではないようです。似たような場所なんですけど…。



諦めきれないので、一旦崖を這い上がって、東へ続く踏み跡を辿ってみることにしました。



と、こちらには石段があり、私を導いているように思いました。



そして、下に降りてみますと、そこにはあの白い石塔があったのです。やったー、ちゃんと来ることができるように道があったんです。
か・ん・げ・き!



石塔は、台座を含めて高さが4mほどあります。



この下の海蝕洞が、阿弥陀窟なのでしょう。そう考えると、気持ちは感無量になりました。



石塔は新しいのですが、実は大正時代に立てられた石碑です。地元の人の話によりますと、大正15年の関東大震災の時に倒れたため、立て直す時に表面を磨いて、きれいにしたそうなのです。そういう事情で、新しく見えているのですって。


         碑文は「南無阿弥陀仏」ですね

台座には、何やらこの石碑の込められた願いが刻まれているように見えました。



終わりに
 南伊豆町手石の阿弥陀窟、そしてその岬にある阿弥陀堂跡。それは紛れもなく弥陀三尊を核とした祈りの地であり、かつては多くの人々が信仰のために集まった聖地あったに違いありません。
 今は既にお堂は影も形もなくなり、ただ多くの墓石が草葉の陰に佇むだけですが、弥陀三尊がそのお姿を見せてくださる限り、人々の心にはこの尊い聖域が刻まれていくことでしょう。


   「お台場に伊豆石で築かれた砲台を見に行く」につづく・・・かな? 秋にね、また
                                             
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