葉

手石の阿弥陀窟で弥陀三尊を
拝観 2009年5月4日   
 
手石の湊を後にして
 午前11時に近くなりましたので、弥陀三尊のついての資料を有している青龍寺に移動することにしました。
 
 手石港には、第二次世界大戦中に作られた、特殊潜行艇「震洋」の格納庫がいくつか残っています。その一つが、漁港の倉庫に改装されています。 



また、当時のままの姿を留めている穴も残っています。探せばまだ見つかることでしょう。



初代式守伊之助の生家
 手石の旧道が新道と分岐する辺りに、この「初代式守伊之助の生家」があります。



青龍寺にて
 午前11時、青龍寺にやって来ました。
すでに聴衆の皆さんは本堂に詰めかけており、私は空いている席をようやく見つけて座ることができました。



進行役の方がご挨拶された後、郷土史研究をされている、初代式守伊之助の子孫に当たる方が弥陀窟の縁起などについて説明してくださいました。
その後、東京の大学の先生による「南伊豆の観光資源の活用について」というような演題で、講演がありました。
先生は、風力発電に賛成の立場だそうで、参加者からちょっと異議を唱えられていました。私も…、同感なんですけど。あの巨大な風車を見ていると、恐怖感が湧いてくるんです。どうしても好きになれません。ゴメンなさい。



熱心に耳を傾ける皆さん。私はしっかりお茶とお菓子をいただきました。



住職さんが、阿弥陀三尊の地獄図を見せてくださいました。お、恐ろしい絵だ…。



これらは、青龍寺に伝わる「弥陀三尊縁起」の版木です。江戸時代中期に彫られた版木だそうです。



子宴会が終わる頃には、雨が上がって、青空が拡がりました。私はこのお賽銭箱にちゃんとお賽銭を上げて、お祈りをしましたとも。



月間神社
 お腹は空いていましたが、せっかくの機会ですので、阿弥陀堂跡へ行ってみることにしました。
 その前に、青龍寺近くにある月間神社に寄りました。



拝殿の奥に、ずっと離れて本殿があります。いつも目映い光に包まれており、とても神々しい聖域に見えます。



弥陀隧道
 湊と手石の堺にある弥陀トンネルには、旧道があります。赤レンガで覆工された弥陀隧道です。

 以前、この隧道を訪ねたときに地元のご婦人が、
「このトンネルは、両方の出口から海が見える、とても珍しいトンネルなんですよ。」
と教えてくれました。

今は海岸に護岸工事が施されたため、海はよく見えませんが、そんなロマンチックなトンネルがここにあることは、南伊豆の誇りにしてよいと思います。



阿弥陀堂跡へ
 さて、阿弥陀堂跡へは新旧のトンネルの間にある道を登ればよい、と教わってきたのですが、既に夏草が茂っており、行くのがためらわれる状態です。

私が道を見上げて逡巡していると、ちょうど旧トンネルから今日の行事の関係者らしき方々が軽トラで出こられ、私を参詣者と気づいたらしく、道を教えてくれました。

そのお話によると、今はむしろ新トンネルの左側から尾根に向かって登る方がよいとのことでした。


              小屋と看板の間を入っていきます


         道なき道を半ば強引に登っていきます

畑を抜けて木立の間を登っていくと、5分ほどで尾根に出ます。尾根には道がついているので、海の方へ歩いてきます。
すると、馬頭観音碑が数基、立っています。



碑に手を合わせて更に道を進みますと、“馬返し”のような細いところを過ぎ、左手下に海蝕洞を見下ろして、やがて岬の先端部に着きます。



人の手によって積まれた石垣が見えました。この先には何があるのでしょうか。



聖地 阿弥陀堂跡
 石垣の先には広場があり、夥しい墓石が並んでいるのが見えました。ここはいったい…?




   「手石の阿弥陀窟で弥陀三尊を拝む〜その4」へ続く

                                             
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