葉

もう一つの愛染橋
探訪 2008年3月17日   
 
頼朝と政子
 伊豆の歴史を知るにつれ、頼朝と八重姫の悲劇、そして頼朝と政子との熱愛に目が向くのは自然なことと言えましょう。
 その頼朝と政子が韮山から山を越えて逢瀬の場に選んだのが、伊豆山と伝えられています。
伊豆山といえば、伊豆山神社が鎮座する地。海から駆け上がるように続く八百余段の石段の両脇には、かつて宿坊が並んでいたそうです。私にとっても思い出のある伊豆山神社。何度このお社の鳥居をくぐったことでしょう。


       バス停「伊豆山神社」前の鳥居です(参詣者用無料駐車場もあります)

伊豆山神社
 太平洋を見渡す高台にある伊豆山神社は、境内の「なぎの木」に象徴される縁結びの神様として知られています。境内には頼朝の腰掛け石があり、参道には、伊豆大島から空を飛んでこの地に立ち寄った役行者の像が奉納されています。資料館には歴史を物語る貴重な像や資料があり、見逃せません。


           
       荘厳な佇まいの拝殿


               
「頼朝・政子の腰掛け石」


                 
お授け所のお守り


      
        境内から見る伊豆山地区と太平洋

権現坂
 境内から役行者の像を左に見て参道を下り、バス停「伊豆山神社前」のある県道を渡りますと、そこには「権現坂」の石標があります。


                境内から降りる参道


             バス停「伊豆山神社前」の県道


              熱海の各所にある坂名標

ここから更に参道を下りますと、左右には宿坊が並んでいた跡があり、やがて国道へと至ります。


               海へ至る参詣道


               左右には宿坊の並んでいた跡が

参道は国道を横切ってさらに海まで続きますが、「伊豆山神社参道」という大きな看板が立つように、辺りは温泉地となっています。
 
愛染橋
 国道を南に向かいますと、赤い欄干が見えてきます。この橋が愛染橋です。「頼朝と政子は愛染橋の袂で逢った…。」と伝えられていますが、この橋のことでしょうか。いいえ、本当の愛染橋は、ほかにあるのです。


               現在の愛染橋

伊豆山神社と般若院
 伊豆山神社は、明治維新の際の神仏分離令が出されるまで、般若院というお寺と共にありました。その般若院は、現在、バス停「伊豆山神社」から歩いて5分ほどのところにあります。


        般若院は伊豆霊場八十八箇所の一つでもあります


              道から見える夥しい数の石塔

もう一つの愛染橋
 では、本当の愛染橋はどこにあるのでしょうか。
 般若院の境内から南を見下ろしますと、細い道があります。私の見立てでは、その道こそが、車道が開かれる前の街道ではないかと思います。


                バス停「般若院前」


              ここが古道だと思います

それは置いておいて、その小径を降りてみましょう。すぐにこうした小さな石橋が目に入ります。


           ほら、小さな橋が見えるでしょう?
 
小さいながらもしっかりした存在感をもつこの石橋こそが、頼朝と政子の逢瀬となった愛染橋なのです。


            確かな存在感があります


                美しいアーチ橋です


         
長さ約1.5m、幅約80cmほどの橋ですが、アーチを組まれた丈夫な橋であることが分かります。そしてその愛らしさと言ったら、何度でも渡ってみたくなるほどです。



欄干に何か彫ってあります。「□寺現住 良学代」 何のことでしょう…?



少し離れたところには、こうした辻があり、地蔵様が立っています。これも、ここが旧街道だったことを物語っていると思います。


             かなりの急坂であります


             この石像も古道の証でありましょう

伊豆山神社に参詣した折りには、ぜひもう一つの愛染橋立ち寄ってはいかがでしょうか。
                                             
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