葉

庚申堂だより
 2002年11月24日 相玉の庚申堂 龍門院にて 
 
 今年も銀杏の葉が黄色く色づく頃となりました。初めて相玉の庚申堂を訪ねてから早2年…。  昨日は、車の窓から緑の檜の山肌の中にぽつんとそこだけ檸檬色に浮かび上がった銀杏の梢が目に留まったので、相玉の庚申堂を訪ねてきました。もしかしたら、境内の銀杏は今が最も見頃かもしれません。

 このお堂は、かつてお参りをする善男善女の列が絶えなかったそうで、表の通りにはいくつもの出店が並んだそうです。しかし今は無住となり、お堂裏の多数の無縫塔がその歴史を語るのみです。

 手前の温泉ポンプ小屋の脇に車を停めて、歩いていきます。バス停小屋の裏には、ひっそりと童子の無縁さんが立っています。程なく「庚申堂前」のバス停と参道の石段があります。苔むした石段には参道を左右に分けるようにステンレスの手すりが設けられています。お年寄りの参拝に配慮したのでしょう。しかし、ここでお年寄りに会ったことはまだありません。


       松崎往還に面した参道

 石段の左には六地蔵様、右にはさまざまな地蔵様や庚申塔が立ち、こちらを向いています。見守られるようにして一歩一歩上っていきますと、間もなく黄色に色づいた大きな銀杏の木が目に入ります。


            もうすぐ境内へ

 石段を上りきって驚きました。境内には一面檸檬色の銀杏の葉が厚くつもり、別の世界のようです。無住ゆえに手入れをする人もなく、ただ自然の営為に任せて季節がいたずらをしたのでしょう。


           石段を上り詰めたところで広がる景色です

 黄色い絨毯に足跡を付けぬように歩き、幾枚かの画像をカメラに収めます。外の流し台には白い手拭きが掛けてありますので、時々は訪れる人もいるようです。はらはらと舞い落ちる銀杏の葉がかさりと肩に触れ、また少し足元を厚くしました。













            境内にて                              秋風に揺れる銀杏の梢

 誰もいない境内は淋しいものです。和尚さんがおられないので、それはなおさらです。明治時代、下田を代表する名石工、小川清助さんは、ある大きな作品作りに取り組んだ際、ここに数日間こもって集中力を高めたそうです。おこもりから出てきた小川さんは、げっそりと痩せてその表情には鬼気迫るものがあったそうです。そしてあの全国博覧会に出品した石笛のような作品を完成させたのです。ここ庚申堂は、それほどに下田の人々の信仰を集め、栄えたのでしょう。が、それもいつの話か…。ただ人々の記憶から消えた古の栄華は、境内の物言わぬお堂が知るのみです。
 おっと、普段から薄着の私ですが、長袖のカッターシャツ一枚ではさすがに冷えを感じてきました。そろそろ下ることにしましょう。

 帰りに石段をゆっくり下りていますと、参道中程の右隅に、50cmほど突き出た石柱が目にとまりました。何気なくしゃがんで表を見ますと、赤いツタの葉陰に「右 ○○院 」と読めるではありませんか。これは、かつて私が上藤原峠の探索で探していた道標に違いありません。資料『下田市史』には、峠を下った途中にあると記されています。そして正しくは「右 奥の院道」と銘があるはずです。しかし、ああ、ここにあったとは…。道理でいくら探しても見つからない訳です。でも、これは思わぬ秋の贈り物です。


          「右 奥の院道」の道標

 古道を歩いていて何か発見するのは嬉しいことです。ひょっとして誰もいない庚申堂の静けさが私の心の時間をゆるやかにして、道標へと目を導いてくれたのかもしれません。

 石段を下りきった時に、ちょうど松崎行きの東海バスがやってきました。でもまるで私がそこにいないかのように、バスは走り去っていきます。今日の雨で、落ち葉は重くなったことでしょう。来週末はまた境内の景色が少し変わっているはずです。
                                             
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