葉

八十八ヵ所巡礼 結願の日
巡礼 2009年4月26日   
 
結願の日
 「結願」と書いて「けちがん」と読みます。八十八ヵ所の全ての寺院を回ることのできた人が、八十八番目札所の修禅寺をもって満願成就することを言います。

私は行程の途中から参加したので結願することはできませんが、今日は4人の方々が思いを成就することができます。そして同じ下田市から参加しておられるT橋さんは、この日、その結願を迎える日となるのです。

 4月26日。朝6時に自宅を出て、T橋さんと共に86号で修善寺総合文化会館へ行き、一行の乗るバスを待ちました。バスに乗って、前回歩き終えた地点へ行き、そこから今日のスタートをします。



修善寺の街を抜け、奥の院への道の途中から歩き始めました。



路傍の石仏としては珍しい十一面観音が、静かに私たちを見送ってくれました。



間もなく端午の節句なので、こうして鯉のぼりを立ててある家がありました。
鯉のぼりの下では幼い兄妹が畑で土遊びをしており、私たちが歩いていくのに気づいて、手を振ってくれました。



修禅寺奥の院へ
2度目に歩く道は、最初に歩いた時よりも短く感じられるものです。もう、本日一番目の札所である修禅寺の奥の院に着きました。



参道の入口でていねいに手を合わせるA野さんとご友人。熱心な巡礼者であります。



参道を真っ直ぐに行ったところにある降魔壇は落石の危険が懸念されるために閉鎖されており、一行をがっかりさせました。でも入っていく人も多数いましたけど。



お堂の中で般若心経を唱えます。衣の背中には、「南無大師編照金剛(なむだいしへんじょうこんごう)」と書いてあります。その左に「同行二人」というのは、二人連れでこの巡礼に参加しているという意味ではなく、何時も修行の時には御大師様(弘法大師)と共にある、ということを示しています。



 奥の院のさらに奥には「桂大師」があるので行ってみようか、という話になりましたが、バスが狭い林道を走れないことが分かったため、取りやめになりました。

そこで、これまでの行程で歩き残してあった中伊豆に向かい、修禅寺まで歩くことにしました。1kmたりとも歩かないところはない、というようにするのが歩き巡礼の厳しいところです。だから「巡礼」なのですが。



日向道を歩く
 国道136号線から見て狩野川の対岸にある「日向道」を歩きます。
画像にあるのは、かつて崖っぷちに作られていたすれ違いのできない部分の道ですが、大工事を施してこのように広い道になっていました。



やがてつり橋のあるところに来ました。そしてつり橋の近くには…、



軽野神社があります。古代伊豆船発祥の伝説がある軽野神社。そちらも早く調べてみたいと思っているのに、まだ実行していない私です。



伊豆市の大平(おおだいら)地区に入りました。歩いている道は車道に付属した歩道ですが、すこし他に目を向けると、こうした細い道があります。国道が通る前は、あちらが主要道だったのではないかと思います。道の発するオーラが、そう教えてくれます(ホントか?)



越路坂の手前にやってきました。下田街道を寸断して、こうした無骨なコンクリートの縦貫道ができています。近くにあった7−11は、車の流れが変わって客足が減ったためでしょう、閉店していました。



アヤメか菖蒲か…、こんな花が畑に咲いていました。



越路トンネルの手前に来ました。越路坂を越えるのかと思ったら、G藤リーダーは細心の注意を払って歩くようにと指示を出し、トンネルに進入。一列になって怖々歩く一行でした。



修善寺の修禅寺へ
 越路トンネルをくぐって桂側の右岸を通る道に入りました。やがて修善寺の街を俯瞰できる場所を通りました。川のぎりぎりまで家々が迫っています。



聖ハリストス教会
 と、前方に白亜の洋館が見えました。こ、これはいつか必ず見たいと思っていたロシア正教のハリストス教会ではありませんか。以前、修善寺総合文化会館へ行った時、郷土資料館の館長さんから「ここから屋根だけ見えています」と教えていただいてからずっと近くで見たいと思っていました。ここにあったんですね。仲間はどんどん歩いていきますが、私だけ列を抜け出して写真を撮ってきました。



指月殿
 「修禅寺に行く前に、ぜひ皆さんに見てほしいものがあるんですよ。」
と言うG藤さんに連れられて、指月殿にやってきました。迷路のように入り組んだ狭い道を上がっていきますと、古めかしいお堂がありました。中には立派な仏像が収められています。 

 指月殿は、この地で非業の死を遂げた鎌倉幕府第二代将軍、源頼家を弔うために北条政子が建てた仏堂です。ご本尊は釈迦如来像で、持ち物がないはずの釈迦如来像が右手に蓮の花を持っているのが特徴だそうです。若い人が熱心に手を合わせているのを見て、人を引きつける力を持った像であることが伝わってきました。






修禅寺へ
 指月殿からは雰囲気のある坂を下り、修禅寺へ向かいました。



 修禅寺に来るのは、昨年秋に参加した「修善寺秋の静寂ウォーキング」以来です。秋と違って、みずみずしい若葉に彩られた修禅寺は、人々の信仰を集めてなお輝くようにそこにありました。



「独鈷の湯」は移転作業中
 修禅寺での読経は時間が指定されているため、午後1時半まで自由時間となりました。そこで三々五々連れだって温泉街を歩くことにしました。
 橋の上からは、独鈷の湯が見えました。独鈷の湯は、たびたび水害で壊されているため、被害に遭わないように場所を移動する工事が行われていました。かなりの大工事のようなので、よほど大事なお湯なのでしょう。でも以前は入浴不可か足湯のみだったと思いますが、完成したら入れるようになるのでしょうか。



昼食タイム
 修禅寺の対岸にある公園で昼食をとることにしました。休憩台を2つくっつけて、持ってきたおかずを並べます。G藤さんはさっそく一献傾けておられます。



工芸店を見学
 修善寺の街には、なぜか工芸品の土産物を売る店が多いです。紙細工や修善寺彫りなど、手作りの製品を並べています。



公園の前にあるこのお店は、ガラス細工や革細工、ペーパークラフトなど、いろいろな作家の作品を集めて売っていました。



私のお気に入りは、これ。かわいいニャンコの紙人形です。一人で囲碁の手を考える姿がかわいいです。大きく写っていますが、実はすごく小さい人形なんですよ。



何か一つ買って帰ろうと思いましたが、やめました。土産物は、お店でたくさん並んでいる時は華やかに見えてるのですが、一つだけ買って帰り、家で包みを開けるとちょっと淋しく見えるんですよね…。

修善寺彫りのももちゃん
 A野さんたちが「ニャンコのいるお店があったわよ」と誘ってくれたので、見に行くことにしました。
「あれ〜? どこだったかなあ…」とさんざん迷って、ようやく坂の途中にある修善寺彫りのお店を見つけて入りました。

お店にお邪魔して、
「買いものじゃなくて、ニャンコちゃんを見に来たんですけど、いいですか〜?」
と尋ねますと、ご主人は、
「どうぞ、どうぞ、さっきまで座布団の上にいたんですけど、寒いので、奥のストーブの前に行きましたよ。今連れてきますからね〜。」
と、快くニャンコちゃんを見せてくれました。



「はい、うちのモモ子こちゃんですよ〜。」
と連れてきてくれたのは、かわいい三毛猫でした。



とてもおとなしく、美人なので、看板ネコになっているのも頷けます。ただし、抱っこされるのだけは苦手だそうです。



さんざん撫でられて疲れたモモ子ちゃんは、また奥の部屋にひっこんでしまいました。でも、何度もおとなしく撫でられるままにしていたので、サービス精神はしっかりありました。ありがと、モモ子ちゃんとご主人。

いざ、修禅寺へ
 集合時刻が近くなりましたので、修禅寺に行きました。新聞社の取材を受けることになっていましたので、改めて列を作って参道の石段を上りました。






本堂に入り、隅の一角で般若心経を唱えます。広い本堂に、巡礼の最後を迎えて万感の思いに包まれるみなさんの読経の声が響きました。






結願をして
 読経の後、リーダー兼指導者であるG藤さんから、結願をした4名の巡礼者に「結願証」が渡されました。2年間に渡って行われた歩き巡礼を完結したメンバーの胸には、大きな成就感と達成感があったにちがいありません。ここまで引率してきたG藤さんもそれは同じだったようで、最後のお話の最中に思わず嗚咽をもらしておられました。拍手をして見守る仲間の中にも涙する方々がいました。



晴れて修禅寺の境内に立ちました。結願した人も、惜しくももう一歩だった人も、みな明るい笑顔が自然に湧いてくるのでした。(なお、巡礼は結願することだけが目的ではありません。それぞれの参加のしかたで修行をすればよいのです)






反省会
 修禅寺を後にして、バスで長岡の「弘法の湯」へ移動しました。ここで温泉に入って、反省会と夕食会をするのです。



温泉と休憩と食事がセットになって、お代は2,000円です。なかなかよいではありませんか?






振り返って
 1年前、全行程の半分ほどの地点である東伊豆町から参加した私でしたが、皆さんとおしゃべりに花を咲かせたりお昼のおかずを分けていただいたりするなど、楽しく交流していただきました。厳しい求道者でありながら、明るさと楽しさを忘れないメンバーの方々には、学ぶことが多かったです。大変ありがたいことと感謝しています。

 リーダーのG藤さんは、また来月から新しいメンバーを引率して巡礼を続けられます。今回のメンバーの中にも、去年積み残した分のルートを歩くために2巡目に入る人がいます。巡礼とはかくも厳しく苦しい修行であるかと思い知った1年間でしたが、それが生きる力の源となっている人たちがいるのです。私も、何か生き甲斐やライフワークになることがほしいと思いました。

G藤さん、メンバーの皆さん。仲間に入れてくださって、ありがとうございました。
                                             
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